館長コラム◆◆  


危ないメッセージ
 


合気神社に集団参拝し天津祝詞を奏上するする神信合気修練会、胆錬塾斉藤仁弘塾長と内弟子たち。
今年の、道場内祭殿の参拝は拒否される。


 
AHAN日本館の指導者養成プログラムの一環として「海外指導者日本体験研修」のため、トルコ人合気道家のアリ.ウルダーグ先生と訪日して数日後、私は彼と常磐線にいた。合気神社の大祭に合わせての岩間訪問である。
 「到着前に一通りは岩間の歴史を」と努力した。何しろ彼は英語も日本語もまったくダメ。私のトルコ語といえば「とんでもない」と手の平を顔の前で振るだけ。当然のように、二人の間には必要に迫られた即席手話が生まれてくる。不足分は体全体で表現、後は箸の袋やサンドイッチのナプキン、手っ取り早くは手の平や腕に絵を書いて「国際交流」を図る。努力した末、理解したものと自己満足して長い沈黙が続く。あとは目を閉じて居眠りをする。双方意外な部分で疲労が蓄積される。日本には「百聞は一見にしかず」の諺ありと自分に言い聞かせる。なぜか彼もうなずいている。
 
 合気道家である彼にとって「岩間行き」は「植芝」であり「合気道」そのものである。おそらく岩間を訪れる外国人は同じような考えであろう。今や「世界の合気道家の岩間」であって「合気会の岩間」ではないのである。
 だからこそ書かねばならない事がある。深く腕組みをし頭を傾けてばかりでは改善はない。問題は提起しなければならない。私自身、岩間で開祖に関わりを戴いて現在がある。多くの世話になった方々にレモンを噛んだ様な顔や拳を握らせるような発言は私の孤立を深めるだけである。反面、現役で頑張っても10年余り、これから10年の孤独はこれまでの野良犬暮らしから比べればわずかの事である。それを覚悟で発言する事が開祖のご恩に報いる事と考えてキーボードに向かった。


参拝を終えたアリ先生

合気道ジャーナル編集長スタンレー.プラニン氏と

 大祭を前に掃き清められた合気神社、「日本ではこの様に参拝」と教える。彼はイスラム教徒、厳格な人は決してアッラー以外頭は下げない。私は開祖が神社に納められ神様扱いされている事には疑問があるので立っていると、彼は私が教えた通りの作法で参拝しているではないか。後日通訳を通してその事をたずねる。「私にとってアッラーは唯一絶対の神、私はアッラーの教えの元に他の神々に敬意を表した。イスラムは本来争いのない宗教です」そばで立っていた私を彼はどう思っていたのか。恥ずかしい限りである。彼にとって開祖の地、岩間の訪問は純粋なものであった。神社に頭を下げる彼は、神を超越し、合気道に、開祖に誠を捧げていた。

【館長コラム 植芝盛平は神様か? 日本敗戦の日に思う事 をご覧下さい。】

 翌早朝、大祭を前に岩間道場敷地内や神社境内を掃除する岩間道場(現在では合気会茨城道場と呼ぶ)の外国人内弟子や日本人の若い門下生たちと出会う。日英両語で「お早うございます」と声をかける我々に挨拶どころか、目を落とし「アイコンタクト」すら避けている。


隣人との挨拶も出来ない合気会茨城道場の門下生

「おはよう」の挨拶に返事もなく、困惑し、
苦笑する斉藤門下生

 私は30年以上アメリカで一匹狼で生きてきた。狼では高慢すぎる、野良犬としよう。相手を察するのは火花のように早い。ABCもろくに解らない毎日の生活、異なる習慣。獣のように相手の動き、目の表情、声のトーンなどを速やかに判断することで生きてきた。私には海外で長く生活する者のみが研ぎ澄まされる「動物的な勘」ある。
 この若者たちには「掟」が重く課せられていると私は見た。いかなる人物と出会ってもまずはその人間が合気会の関係者か、ブロック塀一つ隔てた「伝統岩間流、神信合気修練会」斉藤仁弘塾長門下であるかを判断しなければならないのである。どちらの関係者か判断の上で始めて「挨拶が許される」その判断を誤らないためには無視する事が無難なわけである。合気会茨城道場の外国人内弟子たちに斉藤門下の外国人内弟子たちが気軽に挨拶や呼びかけをしても一向に反応しない。ご存知の通り、斉藤仁弘塾長は故斉藤守弘師範のご子息で、守弘師範の死後、合気会から独立し「神信合気修練会」として平成16年月に発足した団体である。
 こういった行為は外国人同士ではまず考えられない事である。明らかに「意識した行為」である。これは一体誰が含めているのか。海外から自費で内弟子修行に来る程の積極的な青年たちが、こういった行為を自ら取らねばならない「仕込み」をされているとしたら残念な事である。もしその事実がないとしたら、朝のひと時、隣人と挨拶も出来ない内弟子は正しく教育してやるのが「道の場」であろう。

 確かこの頃の時期であったと思う。神社の裏の池で産まれた小指の先のほどの蛙が群れを成して参道をから道場方面に移動する時期があった。守弘師範のお元気な頃その蛙を踏まないように鳥居の前まで歩き記念写真に応じられてくれたときがあった。どうもその頃斉藤師範の足元にいて跳ね回っていた蛙が道場近辺に多く生息しているようだ。特に斉藤守弘師範没後は野放しのようでずいぶん大きくなっていると聞く。
  早朝、私と道場見学に行ったアリ先生、半分も立ち入ったところで、もう自分の体も自由に出来ないような古蛙に手を振られ「お断り」をうける。「この方は合気会五段でトルコで合気会合気道の普及をされている。なぜ見学して悪いのですか」その古蛙は手を左右に振るだけであった。我々が斉藤塾長の道場に宿泊している事を知っての事である。
 敷地内の入り口に「関係者以外立ち入り禁止」とある。関係者とはいかなる範囲なのか?訪れる世界の合気道家に解るよう世界各国の言語で「誰が入れて誰が入れないのか」明記すべきであろう。それが出来ないなら塀を高くし入り口には門塀を設け、先の古蛙が24時間出入りをチェックしたらこういった事は防げると思うが。
 もっと悲惨な事実を訴えよう。海外からやってきた純粋な合気道家、若い女性である。以前は合気会、自分の所属する道場が斉藤塾長と行動を共にしたので合気会ではなくなったのだが、ごく当然の様にそしてなんの拘りもなく開祖植芝、岩間道場、合気神社は世界共通の合気道アイコーンと考えている。斉藤塾長の道場に滞在し稽古をしていたある日、隣の開祖の道場を見学していたらトイレに行きたくなった。そばにあった野外トイレに入ろうとしたら、古蛙が現れて、手首をだらりと下げて指先で追い払われたとの事。他の人も同行しての証言である。実に立派な水洗トイレを作ったので、きっと使用させるにはもったいなかったのであろう。そうとでも解釈しなければ開いた口がふさがらない。隣に帰って用を足せとの意味であれば余りにも「陰湿な行為」である。


遠いロシアからのお客様たち。この笑顔が将来の合気道を築く

 私の滞在中、ロシアのウラジヲストックから青少年を10人ばかり引率した指導者たちが斉藤塾長の道場に滞在していた。素直で礼儀正しい子供たち、なぜか合気神社やその敷地内にある開祖の道場に近寄ろうとはしない。彼らもあの無言の若者たち、挨拶を無視して歩く大人たちに敏感に反応し、会話が出来なくともその雰囲気を感じ取っているのであった。祭りの始まる前、私は固まって遠くから眺めているロシアからの一行を「大丈夫」と励まし追い立てるように開祖の道場見学に向かった。その子供たちの目は周囲を見渡し罪を犯してでもいるように怯えていた。現に斉藤門下一行と知っている古蛙たちの中には手の平を差し出して阻止のポーズをする者もいた。私は阻止されても、引きずり出されても良い覚悟で平然と子供たちの写真を撮りまくってやった。子供たちもまた次から次にカメラを取り出し無邪気に喜んでいる。周囲には苦虫を噛んだ顔を幾人も感じた。遠く、そして訪日手続きも大変であったろうロシアの子供たちを追い返す理由は何もない。


いつも明るい斉藤門下内弟子たち

熱心な指導は多くの門下生の心をとらえる。

  悲しい笑い話もある。大祭も近くなったある日、薄暗くなった駅のほうから一人の若い外国人女性が大きな荷物とやって来たという。外にいた斉藤門下の内弟子が声をかけると安心したように中に入ってきて内弟子にやって来たと告げた。出入りの多い斉藤一門、あえて深く聞くわけでもなくお茶を進め、夕食も接待し、他の内弟子は布団も用意したと言う。やがて話の内容がおかしいのに気が付く。なんと隣の合気会茨城道場への内弟子だったのである。彼女はそそくさと荷物を持って隣の道場へ。翌日境内の掃除をする彼女に声をかけても何の反応もなし。この事実を私たちはどう捉えたら良いものか。誰かが含み入れなければこういった行為を外国人がするわけがない
 
 
 賑やかな記事が並ぶ合気会発行の機関紙、世界各国の講習会記事が並び多くの参加者でにぎわった事を列挙している。しかしその参加者の中には明らかに合気会に属さない合気道家が実に多く参加しているのである。海外特に欧米諸国においては「オープンスタイル」はごく当たり前の事で、それを数百人、千人、二千人と発表するには無理がある。もっとも日本財団などの寄付団体に対してはインパクトがあるだろうが、合気道家すべてが合気会ではない事をもっと知る必要がある。いまや岩間を訪れるのは「合気会」だけの合気道家ではないのである。
 岩間の現状を考えてほしい。世界の合気道家にとって歴史的遺産とも言える場を一部の者が独占し、それを自己の権威の衣としている事を私は無視できない。 岩間を訪れる、言葉も解らない外国人たちに「日本の悪習」を平然と実行する合気会茨城道場の古蛙たち。この古蛙たちを束ねる合気会茨城道場の有力幹部は国際合気道連盟の重臣でもある。朝の挨拶にも目をそらす人間教育しか出来ないとしたら、あるいは改善出来ないとしたら、このお方は世界で何が出来るであろうか。海外講習会でこの方は興味ある発言を私の知る限り3ヶ国で発言している「もし私の合気道が間違っているとしたら私に抗議しないで下さい。それは開祖にして下さい。開祖の合気道が間違っていたのですから」現在の岩間の間違いは開祖ではない。貴方たちが犯しているのだ。大名海外指導経験で得たわずかの世界観を振り撒いても、所詮若い外国人女性に小便の場を与える事も出来ない足元の愚かさに気が付いていない。
 手首を振って追い返したり、手の平を向けて阻止したり、せめてこの様な事だけは常識として止めるべきではないのか。朝は近所の人と元気に挨拶を交わせと云って「お早うございます」の日本語一つも教えれないのか。それはお困りでしょうと云ってトイレを貸してやることも出来ないのか。
 ずいぶん昔の事であった。岩間の駅から道場までまだ竹林や栗林の頃、ガラガラとうるさい自転車にまたがって開祖の郵便物を出しに行こうとした私に大きな声が掛かった。「近所の人と出会ったら自転車から降りて挨拶しろ!!」今は亡き斉藤守弘師範であった。

斉藤家前に移転した、世界で最大の合気道情報メディア「合気道ジャーナル社」
その即売店が守弘没後から大祭敷地内から追い出された
「岩間における故斉藤守弘師範の岩間生存の抹消」に他ならない。他国の独裁政治を思う

 せっかく訪れる世界の合気道家たちにこのまま不信感を与え続けたら、合気道界はさらに分裂し、現在の世界における空手道界のようになる事であろう。これは合気道指導者に限った事ではないが、世界中のパイオニア日本人指導者も老齢期に入り、すでに幾人かは世を去っている。「その後」を考えているのだろうか。
 この原稿を執筆中に世界で活躍されている武道家の方たちとお話しする機会があった。世界における日本人武道家の立場は、先進諸国を筆頭に影が薄いものになってきている事に異議はまったくなかった。特に海外武道の筆頭たる伝統空手界に関しては著しいようである。事を大きくしたくないので詳細は控えるが、これまでのあり方を謙虚に反省されているが「時すでに遅き」と言える。共に海外で40年近くも指導された師範たちの意見である。日本在住のサラリーマン師範たちは良く考える必要がある。柔道は試合用のブルーの稽古着が当然となり、空手の公式戦で試合につけていた源氏平家に由来のある赤と白の帯が「赤と青」に変わって久しい。いや赤と黄になると言う話もある。合気道界もこのままでは赤や緑の袴が出てきてもおかしくはない。
 
 将来は指導者ともなろう若い外国人合気道家に現在の岩間の状況は正しいメッセージを送っているのか。いつかは手首を振られ、世界の場に日本人師範の発言の場、存在の場はなくなるであろう。彼らは合気道の聖地、岩間でそうされたのであるからーー。海外からの訪問者、とくに会話の出来ない者にとってのコミニケーションは相手の目、体の動き(無言のジェスチャー)、微妙な声の判断で感じ取ろうとする。それは日本人である私たちが海外で体験する事となんら変わりはない。岩間からも多くの高段者が海外指導に出ていると聞く。例に挙げた事柄は、こういった指導者が海外で受けた行為に対する後遺症でないことだけは祈っている。
 
 私は多くの岩間在住の合気道家や指導者を知っている。なかには始めて私が岩間に布団を担いで内弟子に入ったときに親切にしてくれた方もお元気でおられる。いまだに感謝している。どのお方も地域や家庭ではすばらしい方たちと思う。岩間は世界中から注目されている。個人的な感情やシコリは抑えて是非とも考えて戴きたい。
 岩間の問題をなぜ世界に発信するのかとお怒りの方もいるのは百も承知である。しかし事はその小さな茨城道場内の密室の問題ではない。世界中からの門人を受け入れている以上「世界の岩間」の問題である。範を示す責任がある。

     平成18年5月30日記
日本館総本部
館長 本間 学 記


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