館長コラム◆◆  

■トルコ合気道、一冊の合気道指導書から

そう云えば同じようなことを聞きました。「最初は本を読んで練習した」と。モンゴルに極心空手を広めたチンゾルグ会長、同じく、モンゴルで合気道を指導しているバブワスレン先生も。そして、今回、大変御世話になったトルコ、イスタンブールのアリ サン先生もそうでした。色んな事情がそうしているようです。
モンゴルの場合、民間人が自由に武道の稽古が出来る様になったのは1992年の民主化以降の事。その殆どが旧ロシアの留学生として、モスクワに生活したとき、本やビデオを借り、自室で稽古したと話しています。モンゴルに戻っても、仲間が集まり密かに稽古するしかなかったようです。何しろ、白黒オリジナルの「姿三四郎」の映画を隠れて見ていて、全員が逮捕された時代であったようです。

合気道が日本から遠く離れた国の文化、しかも宗教も、習慣も異なる国に、染み込んでいくには長い時間と、随分多くの方々の努力があったことでしょう。
情報の無い、或いは制約された中で、稽古をし、組織を作り上げ、合気道の普及に努めた人にお話を聞く時、私達はこういった先駆者達の苦労に対して「どの様に報いなければ成らないのか」と考えるのです。


アリ サン先生

今回、「小児白血病財団支援講習会」のため訪問した、トルコ イスタンブールを中心に指導されている、アリ サン先生は現在49歳。武道修行は1971年から、テコン道や空手、キックボクシングなどを稽古し、軍隊在籍中は空手、空手の毎日でした。合気道との最初の出会いは1982年、友人3人と一緒に合気会本部に連絡を取ったそうです。目的は「合気道って何?」でした。何らかの資料が来ると期待しました。しかし何の返事も無く、さらに手紙を書いたそうです。「我々はトルコで合気道の稽古を始めたいが、書籍などの提供を受けれないかーー」と。これも全く反応が無かったそうです。「それもそうですよね、いきなりトルコから本を寄付してくれ、ですから」とアリ サン先生は笑います。仕方が無いので、手元に有ったボロボロの本で稽古を始めたそうです。
数年して、日本企業の駐在事務所長として熊谷研二氏(当時合気会5段)がイスタンブール駐在となり、初めての合気会合気道の稽古が6人の仲間で始まりました。駐在期限の過ぎた熊谷先生は帰国し、それ以後、この6人が中心となって稽古し、現在は各地で指導者として活躍しているそうです。アリ サン先生が指導した多くの門下生もトルコ各地のほか、イスラム圏の他国にも支部を持つまでに至っているそうです。

講習会を前にアリ サン先生の道場を訪ねました。柔和な人柄のアリ サン先生に相応しく、道場には素晴らしい合気道家が集まり、和やかな稽古を楽しむことが出来ました。

講習会場となったマーマラ大学体育館にはアリ サン道場の門下生、遠くはバスで8時間もかけて、首都カブールから参加したグループなど、150名ほどが集まってくれました。また流派団体の異なる合気道家も多く集まってくれました。オーガナイザーとしてのアリ サン先生の人柄の素晴らしさがそうさせたのでしょう。


アリ サン道場にて



木剣稽古

イズミアの合気道グループと

稽古の合間には市内見物。ヨーロッパとアジアの文化の接点であるイスタンブールの街は美しく、活気があり、人々はフレンドリー。トルコ茶を飲みながら語り合う人々は穏やかで、夕方にもなれば豊富な食材が居酒屋を賑わし、ライオンのミルクと言われる、水を割ったら白くなるラクを飲みながら時を忘れる人々。この歴史ある国にあってこその時間の流れなのでしょう。
イスタンブールを後に、アリ サン先生の支部道場のある、飛行機で1時間あまりのイズミアの「イズミア道場合気道」も訪問し仲間達と稽古、3日間滞在し地方文化にも触れる事が出来ました。

一冊の古本と、道を求めようとした人々から始まったトルコ合気道。恐らく
今、この時でも、世界のどこかで「古本でもいいから」と願っている求道者が居る事でしょう。そう云った方々のために合気道の書物を贈る、何らかの「キャンペーン」が有っても良いのではないでしょうか。写真やイラストが主であれば日本書でも構いません。額を寄せ合って工夫する事でしょう。今は読まなくなった技術書が書棚に眠っているはずです。
あの大きな合気会本部道場は、多くの求道者によって築き揚げられ、支えられているのです。合気会の組織を使えば決して難しい事ではないでしょう。

マーケットにて


―郷に入ればーー本間館長、スコット、リック。カフェとトルコバスにて


                        平成16年6月2日記
日本館 館長 本間 学

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