館長コラム◆◆  

■峠を越えた者たち
天高長河、それはすべてがいつもと同じでした。まるで、クリスマスに集まった家族のように人々は肩を抱き合い再会を祝福しあいました。その中に岩間神信 合気修練塾、斎藤仁弘塾長の元気な姿もありました。
 参加者250名を超えた米国ネバダ州リノで開かれた講習会(ビンツ・サルバドラー先生、合気道オブ リノ)での仁弘塾長は妥協を求めない厳格な指導の中に、優しさがあり、ユーモアがあり、笑いの渦がありました。
 仁弘塾長に何かとても清々しいものを感じたのは私だけでは有りませんでした。行者が定められた修行を納めきったように、避けては通れない物事を、正面から堂々と、しかも自己の信じる通り歩んだ自信が、その姿に表れたのでしょう。
最近は寿命も延びて、親との別れもだいぶ変わってきましたが、両親も70才を数えれば、「別れ」の心配が心の中に存在します。仁弘塾長の過ぎた3年余りは偉大な合気道家を父に持ったが故に、その超えるべき峠も高く、長く、ましてやその死が目前にあれば、心に動揺を持つのは人情といえます。
そして、父の闘病と死、弱っていく母、偉大な父の残した多くの事柄の整理、別れ、そして決断。斉藤家の長男として、父から受け継いだ合気道岩間流の後継者として、判断しなければならない物事は多くかつ重大であり、身の削る様な毎日であった事でしょう。
世界中の弟子を含めた多くの関係者は、息を殺して成り行きを待ち、やがて己の取るべき道に其々の方向に転換をしました。「私は守弘の弟子であって、仁弘の弟子では無い」と吐き捨てるように言って去って行った「守弘子飼いの弟子」もいました。平静を装ってはいても人間、その心痛には耐え難い苦しみがあった事でしょう。
しかし仁弘塾長は、そういった事は他人には少しも感じさせること無く、黙々とそれらの物事を乗り越え、神信合気修練塾を発足させ、驚くべき実行力を持って活動を展開し始めました。そんな多忙な生活にあっても、自宅の大改築、この夏には奥様の久子さん、都合の付いた子供の内、3人を引き連れ、デンバーの私の道場を訪ね結婚記念日の休暇を過すなど、精神的ストレスを自在に操る巧みな生き方を仁弘塾長は持っていました。


木剣に揮毫される仁弘塾長

多くの講習会参加者の中にあって、元気で自信に満ちたその姿は、避けて通れない人生の峠を越えた者のみが得る事の出来る境地であって、人間が一つ大きく見えるとはこの事かと私は感動しました。
昼食を取りながらの合気ジャーナル編集長、スタンリー・プラニン氏との会談では過ぎた3年間、多少の混乱にあり、迷惑と心配を掛けた事を謝罪し、それを受けたプラニン氏は、彼の此れまでの事情を実に寛大に理解し、来年の合気エキスポ参加の他、今後の更なる関係の発展を互いに約束しました。同席したパトリシア・ヘンドリック先生、ベンツ・サルバドール先生には大きなスマイルがあふれていました。率直に失礼を正した仁弘塾長、それを涵養にうけとめたプラニン氏、どちらも尊敬に値する素晴らしい人柄でした。
岩間で内弟子をされた方々で現在指導者となられている方々の殆どは、仁弘塾長の父、斎藤守弘師範の指導を受けました。仁弘塾長より年長者の方がはるかに多いのです。しかしどの内弟子も、あの凍えるような寒い冬を、蒸し風呂のような暑い夏を、限られた予算と乏しい日本語、異なる習慣、妥協の無い稽古を、薄いトーストを分け合って成就したのです。大きな声に驚いて目が覚めれば自分の気合の声、杖の型が夢の中で暴れ、懐かしい国の食べ物が飛び交う。自らをこういった境遇に置き、その中から這い上がった者達、それが岩間出身の内弟子達です。米国人内弟子でも60年代から続くこの伝統は、其々の異なった稲藁が寄り合って縄となる様にしっかりと繋がっているのです。この寄り合った縄から抜ければただの一本の稲藁でしかありません。
仁弘塾長を取り巻く岩間指導者たちが、幾つかのローカル組織に分かれてはいるけど、互いの親交は篤く、まるで家族のように一丸となって講習会を盛り上げている姿を、亡き守弘師範はどんなに喜ばれている事でしょう。
この素晴らしい指導者の性格を作り出したのは、合気道という武道にその生活一切を掛けた「内弟子修行」に他ありません。内弟子修行とはただ技を身に付けるだけのものでは有りません。限られた自由の中にあえて身を置き、技の稽古という肉体的苦行を科して、不自由の中に自由を知る事にあると私は考えています。その完成された姿こそ、各地で活躍されている岩間に縁のある指導者たちなのです。自由を求め、自己の営利ばかり求める人間が多い中で、あえて内弟子と云う不自由の世界で出会った自由こそ本物の自由と思うのです。

現在、仁弘塾長は現在の内弟子指導体制を大きく見直し、父、守弘師範から受け継いだ伝統的内弟子指導法に、新世代にマッチした指導法を取り入れるため、塾長自身が寺院の宿坊などを訪れ、彼の道場「胆錬塾」での内弟子指導体制の充実を図っています。
岩間は合気神社があるから、開祖の道場があるから、だけでは技の発展はありません。そこには貴方と生活を共にする立派な専従指導者がいなくてはなりません。定年後のサイドビジネスや、守弘師範の成功をみて我も、と思うような人物に内弟子指導は困難です。
私は多くの斎藤守弘時代の内弟子達を世界中で見てきました。内弟子経験は将来その道に進まなくとも大きな自信となり、余裕ある生活をしている人が多いのです。内弟子生活という生き方に身を置く事で、現在の生き詰りからの脱却のチャンスともなるはずです。

厳しい内弟子修行にせよ、人生の苦境にせよ「峠を乗り越えた者」の顔は野辺の地蔵さんのように美しく、そこにはただ喜びと、感謝が溢れるだけなのです。

講習会で仁弘塾長は幾つかの彼の決意と感謝を述べました。
 岩間流修行の90%は基本であります。90%の基本があるから、残された10%でも立派にやっていけます。

 私は父の技を受け継いだけど、それがどの程度受け継いだのかはこれからに掛っています。

 私は、父の門下生、特に内弟子であった方のお蔭で、今ここに立っていられる事を心から感謝します。

 御父さん、どうですか、こんなもので良かったですか。(稽古を終えて天を仰ぎ)

私は、人間形成の場、岩間胆錬塾での内弟子修行を大いに推薦するものです。希望する方はどうぞご連絡下さい。お手伝いをおしみません。

       平成16年10月4日
日本館 館長 本間 学 記

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