館長コラム◆◆  

■新しい風 モロッコ訪問を終えて

一千年も続くフェズの町は活気が溢れていました。アラビア語で「預言者の街」を意味するメディナといわれる、外敵から守る為に迷路化された旧市街地域は、世界遺産にも登録されている歴史ある街で、そこでは肩がぶつかり合うような狭い道に、スークと呼ばれる様々な商店が軒を連ねています。道は狭く起伏が多い為に輸送手段はロバが主役、ロバが荷物を振り分けて来るものなら、壁にへばりつくか商店に入ってやり過ごさなくてはなりません。そこが旨く出来ていて、入ってしまった商店の人にアレコレ勧められ、この土地の名物ともいえる「値引き交渉合戦」が始まります。




まず最初の値段の50%が相場。しかしもうこれ以上はーーと自分自身が納得してからも、もう一勝負。今回私と同行してくれた吉村和美さんなどは、「しかしね、こんなにお金を使うくらいなら、子どもの学費にした方がーー。」と全くの本音で諦めたら、店の主人、「よし、ラストプライス。その子どもの為にもっと安くする」といってさらに20%値引きしてくれたのには吉村さんも驚き。その後は「値切りの和美」として多いに活躍してくれました。

先ずはその国の文化を体験から

メディナの中は大変奇麗に清掃され、隣に有るもう一つのメディナと合わせ、フェズの人口32万人の半分が住んでいるとはとても思えませんでした。
モスクの近くには必ず清潔な水場があり、学校からは子供達の元気なコーランを読む声が聞こえてきました。
 私にとっては興味深く驚く事ばかりでしたが、現地の女性達と語るうちに、いつの間にかこの深い文化の魅力に引き込まれていきました。


深い路地にて

朝6時半、私たちはモロッコの首都カサブランカに到着しました。そこには1時間半もドライブの必要な隣の旧都、ラバドから佐野照代さんが出迎えに来てくれていました。彼女は今回の訪問を要請した「世界平和婦人連合」のメンバーで以前3年間、モロッコでボランテア活動をされた笹谷直代さんの友人です、モロッコ人のご主人と4人のお子さんと25年間モロッコで暮らされている方です。
お名前の照代が訛って「チュリヤ」の愛称で呼ばれる彼女は、始めて出会った私達を長い友人のように迎えてくれました。


仕入れをする照代さん。エミリー会長と。

イタリアを訪問指導してすでにモロッコに到着していた本間館長と合流、照代さん経営のレストラン「香港」を拠点としてモロッコでの活動が始まりました。 滞在中、照代さんは親身になって私達のお世話をしてくれ、また彼女のレストランがラバト銀座といわれる便利な場所にあり、色々な見学も出来ました。特にレストランの仕入れの為ご一緒した郊外の青空マーケットでは、多くの露天商や肉屋、魚屋の顔見知りから「チュリヤ」と声がかけられ、地元にしっかり溶け込んだ人気者でした。ただし買い物は大変にシビアで、売り手とのやり取りを流暢なアラビア語で交し、時には相手に背を向けて「ラストプライス」を言わせてしまうモロッコ流買い物の特技を身につけていました。
 私達のように1週間で帰る訪問者と異なり、習慣、言語、宗教も全く違う国で生活を維持して行くには大変なご苦労が有った事でしょう。たとえそれがジャーナリストの素晴らしいご主人の支えがあったにしろの事です。
 モロッコは旧イスラム法が多少変わり、女性の地位、権利を大幅に認める方向にあり、多くの女性が社会に進出しています。ラバトやカサブランカの大都市では顔を覆う女性のターバン姿も少なく、町には外国の音楽が流れ、アメリカのファーストフード店がいたる所にあります。しかし一歩旧市街地に入ればそれは一変し、全く別の国になってしまうのです。
 こういった国で、異文化の花嫁が母となり子どもを育て、露天商とやり取りするまでは、彼女自身の強い精神力が無くては支えきれないと思いました。
 現在彼女は「松涛館空手初段」の腕前、合気道も始めています。彼女の精神力の強さの蔭には武道修行の精神性があったと考えるのは私達の思い過しのようです。強い精神力がすでに存在していてのモロッコ人生なのですから。商社や外交官ではない、定住日本人の彼女が「草の根外交官」として、日本とモロッコの架け橋として大きな役割を果たしている功績は大きいと思いました。
 
 カサブランカに移動した私達はメディナに近いホテルに入りました。モロッコ合気道連盟が用意してくれたものです。稽古場所となったスタジアムには150人ほどが集まっていました。その中に成人女性は5名、2人女の子がいました。 女性の数は、アメリカに比べて驚くほどの少ない数でしたが、皆さん大変熱心に稽古されていました。古参の方に聞くと、「別に入門できないわけではないけど、生活習慣上まだそんな機運になっていない、それに結婚、出産でせっかく始めても辞めてしまう」と答えてくれました。道場によっては宗教上の理由から女性クラスと男性クラスが曜日を変えて稽古をしているところも有るそうです。勿論、女性入門者を拒否しているわけではなく、女性が稽古しやすいように考えての事だそうです。



 モロッコを離れる前夜、モロッコ合気道を育て上げたアラウイ先生の御自宅に招かれました。それはカサブランカのメディナの中にあり、地元の人が同行してくれなければ捜す事はもちろん、一度入ったら戻る事も難しい迷路の奥にありました。細い石段を上り迎えてくれたのが、笑顔のアラウイ先生と奥様でした。御自宅の中は床、壁ともに豪華な伝統タイル張りで、古い絨毯と天井からのシャンデリアも美しく大変感動しました。

 集まった30人ほどが雑談の後、女性や子どものグループと、私や和美さんをを含めた成人男性グループに別れ、大きな土鍋で料理されたモロッコの伝統料理「クスクス」を戴きました。どうもここまでは、訪問者のしきたりのようで、その後は女性達のテーブルに移り和やかな時間を過ごしました。奥様は娘さんの結婚式の写真を持ち出してきて、会話の不足を補いながら積極的に交流に務めてくれました。


家族全員で向かえてくれました

 私が副会長を務める日本館は、日本の東北部にある小さな村と文化交流のプロジェクトを組んでおります。毎年5月はその年の豊作を祈って、春祭りがあります。米国日本館からも数回参加させていただき、地元の方々のご自宅にも随分と招待されました。迎える家では料理と酒で迎えるのが伝統となっています。
 この行事に参加したアメリカ人が必ず聞く質問があります。「女の人は何処にいるの?」です。長いテーブルに料理が置かれ、両側には男達が20-30人で杯を交しているのを見たら確かにそう思っても不思議でありません。ましてや「晴れの日」というお祭りの日です。女性子どもが一緒になってもーーと思うのも理解できます。確かに私自身も最初の頃は戸惑いました。しかし今では全く違和感を感じなくなったのです。なぜなら手伝いに来た女性や子供達は大きな台所で、男達の料理や酒を温めながら、世間話に花を咲かせ、夫のグチをこぼし、のろけ、子どもの自慢や、心配事、スーパーの安売り情報まで、生活に欠かす事の出来ないあらゆる情報を交換しているのです。男達といえば、これから忙しい農繁期に入る前の地域の結束、情報の交換など外交的な交流をしているわけです。

 私は上智大学留学後、たった千ドルで東南アジア各国を一年間回った経験があります。予算の少ない旅行で、どうしてもローカルの生活で経費を節約しなければなりませんでした。逆に言えば極めて地元の方々の生活を体験できたわけです。その時の経験からも、男と女子供が別れて食事をしたり、日常行動を別にするという事はきわめて普通に行われている習慣でした。また一夫多妻の国もいくつもありました。

 モロッコの女性達と話すうちに私の「驚き」や「感動」の周波が穏やかになり、ましてや「女性の権利や女性の自立」などアメリカでお馴染みの言葉は消えていきました。確かに男性優位の社会ですが、それはしっかりと家庭内を守るたくましい女性達によって維持されているような気がするのです。そればかりか、女性合気道家の仲にはスカーフをかぶる事無く、自由な髪型で、スクーターを乗り回している活発な女性もいました。

 私達はともすると自己の育ったモラルの物差しで、宗教も生活環境も経済も全く異なる国の文化や人々を評価する傾向にあります。そればかりか、それを「最もすばらしい事」として押し付けさえもします。

 今回、合気道を通して多くの女性と会いました。スッポリと顔を覆ったターバンから僅かに覗く美しい目が、優しく輝いて私達を持て成してくれました。お互いに乏しい会話力でも、一生懸命交流を図ろうと努力してくれました。
 生活習慣や宗教など、自分とは異なる文化への理解と尊敬の心が私達の心を結びました。

 私達が自分なりに価値付けをしている「裕福」「幸福」或いは「先進国」「経済大国」などのステータスは時には全く無意味な物である事を異文化の国で知ることができます。偏った情報や先入観によって異文化の国々や人々を判断するのは大きな誤りであり、この事が実感できたモロッコ訪問は、私の大きな収穫となりました。

 色々な習慣や伝統の中で、アラウイ先生始め多くの方々の理解のもと、モロッコ女性合気道家が熱心に稽古をされている事に大きな敬意を表します。必ずしも新しい事のみが価値が有るものとは云えません。伝統文化も尊重したモロッコスタイルの女性合気道を「新しい風」としてモロッコ女性に紹介できるようにこれからも頑張って下さい。

 モロッコで出会った多くの皆様、本当にありがとうございました。またお会いしましょう。

       平成17年3月27日
日本館AHAN会長 エミリーブッシュ 記


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