館長コラム◆◆  


海外日本レストランと武道道場
 

 日本館総本部の所在する米国デンバーにいるのは半年余り、旅から旅の寅さん生活の私の胃袋はナンでも受け付けるのですが異国の料理も長く続けばいろいろな症状が出てきます。その代表的な症状に手ごろな名前をつければ「日本食渇望症」でしょうか。重症になりますと「せめて中華料理でも症」となるわけです。中国レストランはどこの国の小さな町でも一応あって、安くてボリュームがあって、米の飯があって、醤油や味噌の面影があって、あって、あっての涙のスポッ トなのです。「マズくてしょうがなく」ともそこにいく事で症状の改善を求めるのです。おそらくこの心境は、海外日本企業のヘッドオフィスで「さて今日は何を食べようか」などと考える余裕のある方々には解らない事でしょう。
 
 今回のコラムは二つのテーマ「海外日本レストラン」と「武道道場」を重ねて書いてあります。
 各国に派遣されている一部日本人合気道指導者の活動が、派遣国の実情を認識せず、日本政府関係機関の「手厚い保護」をバックに現地の既成組織を無視した横暴な活動をしているケースや、現地の言葉も解らず、さらに技術の貧弱さを「私は日本で稽古した」の一言でカバーし、自己の不足を現地人の問題に転化して「正当化」しようとする愚かな派遣指導者もみられます。
 海外に長い私は、海外における武道界と日本レストラン業界の双方に深く関係しているため、海外のレストラン業界に多くみられる問題と日本人派遣武道家や長期滞在日本人武道家に見られる問題に共通点があることに気が付いています。それは「日本人#1」というエセノセンティリズムです。誇りや伝統を重んずる事は多いに結構ではあるけど、現地国の事情を良く理解した上で日本の派遣機関や連盟、協会、本部と言われる在日団体が行動を起こさないと意外な摩擦を生じてしまいます。
「日本人経営者以外の日本食屋」を「日本人道場長以外の武道道場」に「他国の奴らがと愚痴る海外在住日本人シェフ」を「海外派遣日本人武道指導者」に、「日本人経営者の下で黙々と手元となって働いた人たち」を「日本人師範の下で師範の手足となって頑張った弟子」に、「お墨付きだ正統だと騒ぐお役人たち」を「日本在住の政府関係機関、連盟、協会、本部などの理事や高段師範たち」に置き換えれば、海外における日本武道界の「意識、姿、問題」が浮かび上がってきます。
 「日本#1思想」への執着が、結局大きなものを失っているような気がして私の意見をまとめました。今回はあえて海外日本食レストランサイドから書いてみました。


 最近、読売新聞を読んで興味深い記事がありました。タイトルは「正統な日本料理店にお墨付き」と言うものです。フランス駐在のジェトロ事務所が覆面審査官を日本レストランに忍ばせ、その日本食レストランが「正統な日本食店」であるか評価しランク付けをするというものでした。そんな記事の前後でしたか、内閣改造も終わり各大臣の就任のインタビューで、農林水産大臣が「海外における日本レストランの盛況とそれに便乗する日本人以外の国の者が経営する日本レストランの増加に伴い、日本文化としての日本料理を正しく普及する必要がある」との趣旨の発言をTVニュースで偶然耳にしました。
 そういえば、半年ほど前に日本館総本部のある米国デンバー総領事館から「日本人日本料理店のオーナーは記入書の質問に答えて欲しい」と手紙が回ってきていました。今回のフランスジェトロの記事を読み、大臣の会見とも重なり「あれ、これって国策だったの」と考えてしまいました。
 日本食文化の正しい普及、と云うのが表向きの理由ですが、私は、海外からの輸入農産物に押されて低迷する日本国内の農家に対する「ポーズ」がこんな現象を起こしていると考えています。「もっと」日本の食材は海外で売れる。先ずは海外日本レストランを通してーーこの辺が真意として隠れているようです。
 
 「もっと売れるはず」の「モット」には「このごろ、日本レストランの盛業に便乗し韓国人や中国人、ベトナム人など日本人以外の国の人が日本食の看板を出しトンでもないものを調理して正統な日本人日本食経営者の足元をすくっている」と云う「被害者意識的」な日本人経営者やシェフの「ため息」をまともに取っている日本人役人の迂闊さがあります。
 しかしこの「ため息」は私が渡米した30年も前からた飛び交っていた話で、デンバーあたりですと、中国人、そしてベトナム人、最近はもっぱら韓国人にその話題が集中しています。その事を知る私にとっては「何を今更、また日本人の悪い癖が始まった」程度でしかありません。
貿易等に関する日本の公的機関といえるジェトロが、確かに指摘の問題点があるにせよ、日本人経営者や日本人シェフの被害者意識的な情報をまともに取って、その情報の源を検討することなく、「国籍や人種」を「食の問題」に巻き込んだ事に大変な危惧を感じます。海外出張の多い私は、確かに驚くほどひどい日本レストランに入ってしまう事が有ります。しかしそれは、経営者やシェフの「国籍や人種」にはまったくかかわりなく、日本人経営者、日本人シェフで固められた日本食レストランでも存在します。
今回の記事の中には、横柄な態度で韓国人、ベトナム人、フィリピン人、メキシコ人などを目線下にみる体質がちらついています。あえて人種にこだわって問題提起をする事は将来日本人の立場を孤立させてしまう恐れがあります。
これらの国々の海外における人口増加(アメリカの場合)は驚くばかりで、韓国人やベトナム人経営の日本レストランが自国の客だけを相手に商売が維持できる状況にすらあるのです。また、超大型の韓国やベトナム、中国の食料品マーケットが新鮮な食材を山積みして日本店を閉店に追い込んでいるのが現状です。

 私も日本レストランをまったくの素人から初めて10年を過ぎ、お陰さまで「繁盛店」としての立場を維持しています。私はジェトロさんや客足の減った事を嘆く日本人経営者の様に、「自己の不足が他国人の摂取による」とも「それによって私の店のイメージがさがった」とする気持ちもまったく有りません。今後、ビジネス量が減っても同じと思います。レストランは客が選ぶものです。客足が減ったのは自己の対応不足、勉強不足に過ぎません。また同じ食材が地元で安く手に入るのに、わざわざ高い金を払って日本からの食材を使う気もありません。
 
 それではジェトロさん、大臣、「正統の日本食」の範囲はどこにありますか。アメリカ人のトムも、中国人の唐さんも韓国人の朴さんもベトナム人のブイさんもメキシコ人のホセさんも同じ海苔巻きを巻いている時代です。悔しさしのぎの日本人寿司シェフが吐き捨てるように「いくら形と味が同じだって、日本人の心がこもっていネー」と必死で啖呵をきっている哀れな時代です。「美味いね、この天ぷら」と驚くとキッチンの奥でフィリピン人のおっちゃんが親指を立てる時代なのです。
 日本人経営者やシェフは、休暇の時にはゴルフだ釣りだといって、ほとんど自分ではほかの店(日本食以外も含めた)で積極的に食事をし、味に限らずサービスの仕方、店の雰囲気、などを勉強しようとする人が少ないような気がするのです。「私はこの道で生きてきたから」「私はこれしかあとはナーーーにもわからないから」など「そうですか、立派ですね」と勘違いしてしまいそうな言葉を云いますが現実は「驕りを謙遜で包んだ」言葉であって、お客様の満足を得て、少しでも繁盛し、安定したチップや給料を従業員に保証しなければならない経営者、あるいはシェフとしては失格と思うのです。

 この記事に関しての日本のブログを読みました。海外の事情に通じていると思われる冷静な意見は殆ど無く、差別や、侮辱を交えた意見が飛びかっています。情報の解釈が日本人サイドからのみ行われており、情報源にも大きな偏りがあります。
 多くの情報の源は、現地の文化生活事情をまったく知らない日本人観光客か、海外に生活していながら日本人だけで寄り添って暮らす留学生、海外滞在の生活の保障が約束され、日本で散々グルメになりつくし、海外の生活文化を考慮する気など無く、日本とまったく同じサービス、同じものを求める「どこにいるのか認識不足」の長期滞在者などが爪楊枝をセセリながらゲップと一緒に吐き出した言葉でしかないと私は思っています。
 私自身、在米30年を越え、これまで出会った多くの短、長期滞在日本人、アメリカ市民となった日本人などの行動思考から探れば、短期滞在、転勤など足の着かない人ほど、今自分が生活している国の文化に無頓着で不満も多く、無理やり「日本、日本人の優秀さ」を前面に出し、実はその国の文化になじめない苛立ちを、他国の文化を劣等として格付けし、自己の存在を確認しようとする傾向が有ります。


 海外日本レストランを問題とする前に、日本国内で「正統な日本料理」というものを確立し、日本国内でその制度を実行して見るべきでしょう。 
 日本の結構繁盛している日本料理屋で中国産の野菜やメキシコ湾のマグロ、ベネズエラ産の牛肉、これは正統なのでしょうか。私の門下生が「日本に行ったらすし屋に行きたいけど、日本語が出来ないしね」といったので私は「大丈夫、日本のすし屋のネタは殆どが海外出身、国際語として英語をしゃべるよ」と笑わせる事があります。いまや日本国内は外国産輸入食材で維持されています。こんな中で「これぞ正統」とお墨付きを貰える店は日本ですら少ないでしょう。
 話はそれますが、日本の玄関口、そして日本を訪れた外国人が訪日最後の日本食として飛び込む成田国際空港のレストラン街。そこの入り口に豪華に飾られている「詐欺的食品見本」を一掃する事は出来ないものであろうか。従業員と言い争う外国人を幾度も目撃しています。私自身、余りに争う外国人客に「日本人としての恥ずかしさ」を感じ料金を取らないように抗議した事すらあります。
日本人なら誰しも食品見本と実物は異なる事は「暗黙の常識」で、逆に抗議するような日本人は「言いがかり、たかり」の悪者扱いされてしまいます。丼のご飯が見えないほど大きい海老天が実際は人差し指程度であったり、ゲタを舐めるほど大きな寿司ネタが実際はその半分も無いサイズであったりと驚くばかりです。
「海外の正統日本食」を話題にする前に考えるべき事は日本国内に山ほどあるはずです。

 
 今回のジェトロのランク付け案は一つ間違えれば、国名を挙げられた日本人以外の人々から批判を浴びる危険があります。
 先進国と評される条件の一つは、多くの人種と共に移入してきた文化を肝要に受け入れ消化し、その国にマッチした、いわば互いに譲り合い妥協し合う文化に育むことが出来るかであって、自分の物差ししか持っていない者が、他国で適応し育った日本食文化を「本物、偽者」と札付けする事は「余計なお世話」でしかありません。
 米国の場合、日本の食文化はいろいろな形で持ち込まれ、特に戦後は駐留軍人やその同伴女性たちが持ち込みました。日本食ではやっていけなく「チャップスイ屋」といって中国風の名前で商売をしていた頃もあったそうです。「すき焼き、芸者、富士ヤマ」の頃です。そして現在の寿司ブームが海外日本食を支えています。
 米国など海外での寿司職人は一流店を除いて日本で修行した人はわずか一握り。ほとんどは寿司ブームに目を付けた一般レストラン経営者が寿司カウンターを増築し、にわか寿司シェフや学生崩れを抱えて始めたケースが殆どです。
 職人としての腕はともかく、日本人を優先的にカウンターに出したいと云う経営者の含みと大切な「寿司マシン」に止められたら困ると言う事情が重なり、下拵え、皿洗い、掃き掃除、納入品の管理などは「手元」の日本人以外の人々にやらせる傾向があります。その結果、やがて見よう見まねで一通りの調理をこなせるようになった手元の人たちは、結局は食材の注文、受け取り、管理などレストラン事業の大切な部分を体で学び独立をします。家族も多く、人件費も安く、前の店にいた下積みを忘れずに頑張るから苦しくても結構腰の強い商売が出来るわけです。さらには常に日本人ではないという負い目が経営を考え、料理内容も自国の味を加えたりする日々の工夫が良い結果につながります。
 反面、寿司だけで育った日本人、基本が無いのに華々しさだけが身につき、店を開いても維持が出来るほどの経験を持っておらず、その事を考える事なく自己の不満を他の国の成功者にむける事になるわけです。
 流行る店は日本人であろうと、宇宙人であろうと流行るのです。「他の国の人がひどい日本食屋をやるので、俺の店は流行らない」とはとんでもない言いがかりで、悔しかったら負けない店にしたら良い事なのです。
 「他国人の日本レストラン経営者やシェフが日本食文化のレベルを下げている」と言う「日本人#1思想」から脱却し、多人種多文化の中でどの様に適応していくかを常に考えなければ、日本人は将来海外ではうまくやっていく事は難しい事でしょう。
 食は常に変化していくものであり、多くの事情から海外の文化に溶け込んでいる「海外日本食」への干渉よりも、日本食文化の発信源である「日本国内の現状を正してから」行動を起こすべきでしょう。
 また日本産食材を「モット」海外で売りたいなら、わずか一握りの海外日本レストランに拘らず、世界中で展開している韓国、中国、ベトナムなど大手マーケットや市場を相手にした方がはるかに売れる事でしょう。


 国々によって状況が異なるでしょうが、海外生活の長い日本人の一人として常に感じていること「現地からの正しい情報が伝わっていない」その例として意見をまとめました。



     平成18年10月9日記
日本館総本部
館長 本間 学 記


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