館長コラム◆◆  

座り技のない日本館
 


合わせて220歳 
左から、ジェリー岸山さん30年間総本部門下生、モーリス.ブラウンさん25年間総本部門下生、
ハインズ.スルーさん30年間総本部門下生


日本の合気道指導者が海外に飛び出して行った60年代、その頃の日本の社会的背景を調べていましたらビートルズとミニスカートが大きな話題となっていました。そういえば私も角の丸い白黒TVで見た覚えがあります。1966年6月30日、ビートルズが、67年にはツイギーがミニスカート姿で日本にやって来たと記録にあります。
 それ以来日本の女性達は太ももの半分くらいの丈のスカートをはき街を歩く事になったのですが、その頃の写真を見ると失礼ながらなんと不恰好な事か。畳にベッタリ座りこんでの日常生活、膝は出て、足は短め、塩分の濃い食生活と米食中心、炭水化物で蓄えた大根足。どうやったってあのツイギーとは似ても似つかぬ体型に無理やりミニをはりつけたーーー。そんな姿も「みんなでやれば怖くない」と居直った日本女性奮起の頃であったのも60年代のようです。
 最近帰国するたびに驚くこと、それは日本人が大きくなったと言うことです。私の16歳ごろ、電車に乗っても私より背の高い人は僅かなものでした。それがいまでは私の目の前にあるのはネクタイの結び目ばかりと言うのが当たり前になりました。そして女性たちの足の美しくなったこと。膝が出ているなどと言う若い女性は見ることも出来ず、スラリと長い足はキリンのように目の前を通り過ぎます。食生活や生活様式の変化によって日本人の体格も大きく変わったようです。 
 
 さてこのコラム何の話かといいますと、現役武道家にとって最も大切な足腰の話です。とくに合気道家に一番多いのが膝の故障。講習会で各国の合気道家と出会いますが実に多くの人が膝にサポーターをあてて稽古をしています。とくにソファーや椅子での生活、肉体労働を余り必要としない技術経済先進国といわれる国の方々に多いようです。ときには正座も出来ないほど膝を痛めている人に出会うことも珍しくありません。膝の故障は門下生だけではありません。現役あるいはすでに亡くなった高段師範にも多く見られます、高段師範の多くは高齢でもあり加齢による衰えと考えることも出来ますが、現役指導者の故障には原因があるようです。それは自身の体力、実力にそぐわない正座、膝行、座り技の過剰稽古です。稽古に入る前に柔軟で強い足の指、足首、膝、そして股関節の周りの筋肉、それらを支える足腰の筋肉が充分でないのに座り技の稽古をするのは「膝の虐待」でしかなく「膝行や座り技の稽古は下半身を柔らかくし足腰を鍛える」と言う指導者の定説は間違いであると私は考えています。とくに経験有る指導者を持たない合気道稽古者が座り技の珍しさに惹かれ、幾度も撮影を繰り返し巧みに編集された技ビデオなどを見て、それを真似ようとして、あるいは真似をして膝への過負担をかけてしまう例が多いようです。技のビデオと言うのは演武会や講習会のドキュメントとは異なり、多くの演出と撮り直しに寄って製作されるものです。たった数秒間くらいであれば「アッ」と驚くような凄いことも組み込めるのが製作ビデオです。そうう云ったものを真に受けて「この指導者は凄い」といって真似をした挙句が膝の故障となるわけです。6年ほど前に私の門下生が座り技の指導ビデオを「どう思います?」と言って持ち込んできたときがあります。私はビデオを見ながら「膝や足首、アキレス、足の指に座り技が可能なほどの基礎的なものが充分に備わっていれば問題ないが、このビデオにある事を真に受けてやっていると将来多くの人に障害が起きる。座り技というのは日本的生活様式の中から生まれたもので、おそらくこの製作指導者ですらこう云った事をしていたら近いうちに駄目になる。自分のビデオプロモーションのため収録された技や稽古方を講習会で繰り返し、結果的に自分の膝を痛めてしまうでしょう。またこう云った技術を公開する指導者は門下生の健全で安全な稽古よりも『いかに自身が優れているか』の自己主張でしかない場合があり、つい派手で不思議な技をやるものです。ビデオは売れるでしょうが」と断言したときがあります。
 私の道場、日本館では15年ほど前から膝行や座り技は稽古しないようにしています。一般稽古で座り技を中止してからは膝の故障は大きく減りました。また8年ほど前に現在のマットに更にマットを重ね膝や腰の衝撃を和らげました。上下のマットの費用は畳を入れる費用と変わりませんでしたがあえて私はマットを選びました。確かに道場に畳が入れば「道場らしく」なるでしょうが、年齢、体力などあらゆるコンデションの門下生が一同に稽古する「町道場」の門下生の長期的な安全と快適な稽古を考えた場合「みかけ」ではなく「現実」を取る事にしたのです。町道場は大学の合気道部や警察学校などの門下生と異なるのです。   
 こういった決断を私が簡単に出来たのは「座り技を武道として重要な技とは考えていない」事にありました。合気道が武道である限り襲い掛かる敵に座ったままで対処する必要などなく、一刻も早く立ち上がり対処するのが現実です、立ち上がらないとしたらそれは腰が抜けているとしかいえません。座り技の可能な指導者が生活習慣から肉体構造が異なる正座の出来ない外国人を前に「座り技が足腰の稽古に必要不可欠」と演武を見せ稽古指導しても50歳を過ぎた頃からその指導者本人が膝の故障を抱えている例はいくらでもあります。現代スポーツ医学において、ひざを虐めなくとも膝、足首、アキレス、指先、そしてなんと言っても骨盤の周囲の筋肉を鍛える方法はいくらでもあるのです。
 私も15−6歳の体がぐんぐん大きくなる頃に何も疑問を思うことなく座り技の稽古をしました。座り技の稽古が一時間の時もざらでした。稽古着の膝は擦り切れ、ハギレを縫い重ねそれでもにじみ出る血で赤く染まっていました。やっと黄色くなって直りかけるのが一週間、また同じ師範の指導日がやって来て座り技の稽古。瘡蓋がはげ綺麗なピンクの傷口から真っ赤な血は出てくる。とにかく座り技は「痛みと辛さ」に耐えるだけの稽古でした。幸い私はこれと言った障害も残らず私個人の稽古では今でも負担がからない程度の稽古をしています。おそらく若い頃しゃがみ込んでの草刈や岩間独特の柄が短く歯が長い、しゃがまなければ使えない鍬などでの日常の作業が基礎体力を作ってくれたのでしょう。また 私は子供の頃から歩くのが好きで日本国内を歩いて旅した事があるほどで、それが現在の体を作ってくれたのでしょう。しかし周囲の高段師範の状況を知った頃、膝の大切さを考え、座り技は私の得意技の一つでしたが日本館の稽古指導からはずしたのです。
 
 ビートルズと入れ替えに海外に飛び出した若き日本人指導者たち、典型的日本型生活で鍛えられた足腰、特に膝や足首は日常の正座生活から座り技や膝行にはそれ程の抵抗がありませんでした。海外指導に出かける弟子に「まず海外では相手が大きいので座り技で相手を苦しめろ」と助言した師範がいたのもこの頃です。
「自分の気に合わない門下生が昇段試験を受けるときは正座をさせておいて一番最後にやるのさ」と平然と私に言った本部派遣高段者もいたくらいです。つまりは自己の技術的未熟さと自己保身の一つの手段として「座り技」を活用(悪用)した日本人指導者も多いのです。こういう指導者から座り技の指導を受けた門下生は後年必ずといって良いほど膝の故障を抱えているはずです。それは指導のためではなく、貴方より優位に立ち「出来る事」に優越感を感じるだけの行為でしかなかったのです。体重が100キロを超える門下生が当たり前のアメリカで、
椅子に座る角度以上は曲げたときのない生活環境に育った人々に「ストレッチ、基礎体力作り」といって正座、座り技をさせる事は象に正座をさせているに等しい行為であって、稽古者は膝行や座り技にそれ程のめりこむ必要もないと私は考えています。将来膝に故障が現れたときには遅いのです。
 膝の故障を抱えると正座や座り技はもちろん立ち技の動きまでが変わってきます。亡くなったある高段師範は膝の元気な頃と故障してからでは技の決まりの部分が大きく異なり技の解説すら異なっています。たとえば片手取り両手持ち呼吸投げの場合、お元気な頃は「しっかり腰をひねって投げた相手に全身を集中する」が膝の故障を抱えてからは「投げた後は自己の後ろに集中する」となっています。これでは上手に受身を取った者から色々な逆襲をされても防ぎようがありません。腰をひねる事による膝の痛みを避けるようになり技そのもの変わってしまった「変化技?」と冗談ともいえない事が起こってきます。また膝の故障は木剣、杖の打ち込みが上半身だけに頼り、しっかりと地べたまで断ち切る迫力に欠け、殺気きわまる突きも膝に負担が掛かるため出来なくなり、動きそのものが薄っぺらな味のないものとなってしまいます。故障の有る指導者から指導を受けた門下生は忠実に其の動きを受け取るために、若く生き生きとしてあるべき動きがまったくさえない小さな動きになっている姿を見かけるとき「技と言うのはこうやって変わって行き道理などは後で付け替えられるもんだ」と思ってしまいます。開祖、植芝盛平の杖の演武を直接見た者なら誰でも証言するあの迫力ある大きな動きは膝の屈伸力なくしては不可能なものであり、体を低くして下から付き上げるときの透き通った青い目は恐ろしさを感じたものでした。
 膝の痛みから体を充分に動かせなくなるとつい小手先の技となり門下生から見たら「不思議な技」に見えるような技を行うようになります。ある国際的にも有名な合気道評論家がこう云った指導者の演武をみて「このごろこの師範は益々動きが凝縮され無駄な動きがなくなった」と好評価したのを読み「それはないだろう」と笑ってしまいました。確かに身体に障害がある方が、其の方に与えられた手段を持って補おうとする事は大変な事です。指導者の中にも身体に障害がありながらも素晴らしい指導に打ち込んでおられる方々もおります。そういった方たちの事と、過剰使用による故障によって自らを追い込んだ方とはこのコラムの筋が違います。
 私がこのコラムで提起したいのは「指導者は正直に自己の現状を門下生に伝え、同じ身体的故障が発生しないように防止する義務がある」という事です。私が座り技の指導を止めたのも、道場を畳にはしないで柔らかいマットにしたのもすべては門下生の安全な稽古を考えての事です。私の指導中は正面や互いの礼を除いては安座にさせるようにしています。もちろん出来る者は自らの意思で正座し、安座となるときは軽く会釈をしてからします。指導者は故障してから自分に合せた技を指導するのではなく、故障の起こらない技の稽古指導を責務としなければなりません。
 私自身14年ほど前に二度も腰の手術を体験しており、指導者として体調の優れないときほど不安な事はありません。「もう道場には戻れない事もあるかもしれません」と念を押され手術の承諾書にサインするときは「これで終わりか」と思ったものでした。若い頃は体も大きく受身も派手に飛べたので多くの師範方に重宝されました。それこそ板の上でもコンクリートの上でも「忠実に」受身を取りました。それ程一生懸命師事した先生方も多くは亡くなり、あるいは独立してどこかに行ってしまいました。残されたのは派手な受身の代償でした。それゆえに今は私の受けをとってくれる門下生には「飛ぶこと」を求めません。私の指導演武をみる門下生から見ればビデオでみる他の指導者のように派手ではないので迫力に乏しいでしょうが、私には派手な「サービス受け」を自分の門下生には求めたくないのです。第一、合気道程度の投げ技で人間が飛ぶわけはないのですから。無抵抗でも飛びません。あの合気道の受身はパフォーマンスであって現実ではありません。最近、入り身投げで受けの人間が投げの腕に首を引っ掛けて体とマットが平行になって落ちるハリウッド製の「ナンセンス受身」が多く見られます。これは「身を守るための受身」ではありません。一瞬間違えれば後頭部から首筋にかけて強打する危険な動きです。こう云った指導をしたり、門下生に受けを取らせて満足している指導者というのはともすると日常生活でもそういった性格を有し、後ろに倒れないように抑えるのが大変なほど自信を持っているものです。そんな指導者の受身を取って将来後遺症を持っても何にもしてくれません。
 現在の日本館本部道場建設のとき、内弟子部屋や博物館、レストラン、道場、事務所と多彩な用途スペースになっていたため、建築基準にマッチさせるのに大変苦労しました。とくに公共の場であるため身体に障害のある方が独自にアクセスできる設備を整えなければなりませんでした。その費用たるや当時の私には大変な負担であり正直「こんな手すりやスロープを付けなくともオレが担いでやるわ」と思ったほどでした。そして57歳の今となり「これは将来の、いや明日の私のための投資であった」と気付く様になりました。周囲を見渡せば元気に指導してくださった先生方、一緒に稽古をした兄弟子たちがポツリポツリとこの世を去っていきます。先人は常に我々になにかを残してくれます。それを敏感に受け取る心こそ先人の心に報いることと私は考えています。
 今現役で活動できる私が将来ある門下生に何を残して往くか、その一つが体に支障の残らない安全な稽古法への改善実施にあると考えています。そのためには指導者自身が健康でなくてはなりません。ともすると指導者は指導ばかりに夢中になり自己の稽古をおろそかにしがちです。私自身も日本館AHAN活動やレストランなどの経営等でつい稽古はおろそかになりますが、基礎体力の維持として素振りや早朝のジョギングは時間の有る限り続けています。マイカーは持っていません。私の車は自分の足です。「酒豪の本間」などと言われたのは40代まで、最近はもっぱら門下生に勧めるだけでさっぱり進まなくなりました。おかげで体の調子も良く、五月に韓国合気道連盟会長のユン先生ご夫妻と講習会でメキシコを訪問した折、メキシコシティーから2時間余りのクアトラ郊外にある世界遺産のピラミッド遺跡を訪ねる片道2750段余りの粗末で急な岩の階段を往復でき、健康である事に心底感謝をした次第です。
 日本館には最高年齢が84歳の常連を筆頭に元気者が多く、若い門下生と供に活気ある稽古をしております。今から15年前、安全で充実した稽古人生を送るために「座り技稽古の中止」を決心した私の判断は、加齢という止めがたい波が押し寄せる中で誤ってはいなかったと自賛している今日です。

 開祖植芝盛平翁は稽古中、白いキャンバスマットに小さな血痕を見つけるとすぐに稽古を止め各自を確認させ「稽古中怪我をしたらいかんでー、おまはん達は神さんの子や、ご両親がこの植芝の爺を信じて大切なおまはん達をあずけている。怪我をしたらなんと申し上げるんだ」幾度も稽古中に聴いた言葉です。今一度考えてみる開祖のお言葉です。

 
 このコラムは海外合気道家のために書いたものですが、日本でも生活様式が変わり洋風の生活スタイルが定着し体格が変化しています。合気道家の皆さん、先輩師範たちをみて、将来の自分をあぶりだしてください。今いくら座り技で皆の注目を浴びても人生も円熟した頃に膝が使えないようでは何の稽古であったか解らないではないですか。座ってないで、サー立って動きましょうよ。



     平成19年6月15日記
日本館総本部
館長 本間 学 記


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