館長コラム◆◆  

「国際支援、貢献学科」の充実を
 


朝を迎えても行き場の無い子供たち


その子供の声、そして姿はいまだに忘れる事はできません。甲高い何かを依願する様なその声は雑踏の中から聞こえてきました。死体処理人が運ぶまで雑踏の軒下に布をかけられて置かれている遺体を通り過ぎてすぐの事でした。周囲を見ても子供はいません。声が近くになってきたあたりで私は驚いてリキシャの親爺の背を叩いてしまい慌てた親爺が振り向いて止まりました。
 そこには古い木製の大八車の上に筵を敷いて乗せられた両手、両足の無い4−5歳の子供が置かれていました。声はその男の子でした。行きかう人の中には僅かなお金であろう施しをしている人もいましたがそのお金は人ごみにたたずむ男がすぐに回収していました。

 その声は市場のゴミ捨て場の大きな鉄製のゴミ箱の中からでした。毎日の雨でドロドロになった残飯も包装ゴミも入り混じるその中に裸になって入っている子供の声でした。プラスチック、僅かな金物を顔まで浸かって探し出しそれを外で待っている母親と思われる女性に渡していたのです。
 
 広い通りに出てスーツ姿の人も目立つ歩道、赤ん坊の鋭い声が聞こえてきました。何処にも赤ん坊を抱きかかえる人の姿はありませんでした。なんとその赤ん坊は人々が立ち止まる交差点の歩道の上に新聞紙に置かれていました。オムツも着けていないほぼ裸の赤ちゃんでした。人々は何事も無いようにその赤ん坊をまたいで通り過ぎていました。当然施しの人もいるであろうからこそのビジネスです。そうです、ビジネスです。
これが私が初めてバングラデッシュを訪れたときの「リキシャに揺られて20分ノンフェクションドラマ」です。こう云った体験を重ねていますと、悲惨さとか悲しさとかは始めて目撃したときよりも感じなくなる恐ろしさがあります。そんな自分に疑問を感じた頃もありましたが、こういった現実を目の当たりにして熱いものを感じたり、社会に憤りを感じているようでは「まだヒヨコ」。遠くから離れて大きな構図を展開する「冷静さ」を備えた人間であるべき事が最近分かってきたような気がします。誰かがこの子に暖かい生活を与えてやっても、ゴミ箱に100ドル札を投げ込んでも、長い間の生活習慣、社会的地位、周囲の者たちの常識や道徳、さらにはその源となる基準などを深く考慮する事なく突然の支援をする事は我々には思いもつかない問題が生じる事があります。

 私は17年間デンバーのホームレスの方々に食事支援をしていますが、興味をもたれた方にはボランティアとして参加していただく事にしています。参加されたすべての人が300人余りのホームレスたちが食事をするのを見て複雑な感激をもたれます。中には泣き出す方もいるくらいです。しかしその涙は「かわいそう」だけではなく「この人たちに比べたらなんと自分の生活は恵まれいるのだろう」という感謝の涙である事もあります。
 私も17年前に始めてから数年は毎回記録を残してきました。いま読み直してみると当時の思いは、一日参加のボランテアの方々となんら変わるものでは有りませんでした。それが今ではなんとも感じる事も無くなったのです。むしろ反比例するようにもっと冷静に問題の源が見えてきたような気がします。
 何も自己の感情に触れるものがなくなったときに湧き出す感情こそ本物であり
この心境は武道家の立会いの心境と同じものでないかと思うのです。最近は周りの方々から「どうかな?危なくないの」といわれる地域にも要請があれば出かけて行きます。それが平然と出来るようになったのも「空にして有り」の心境からかもしれません。もちろん、私は幾つかの事業をしており責任ある身です。海外で事故に巻き込まれたり病などに倒れる事も考えられます。そういった事の対策は充分残しての事ですが。

 大きな事故や自然災害が起きた時、混乱する現場と限られた救急機能の中で患者を黒、赤、黄、緑の四段階に分けて治療処置を施す緊急医療トリアージというのがあります。黒は死亡、そして緑は軽症となります。一年ほど前からAHAN日本館総本部でも過去の失敗経験をもとに「支援トリアージ」なる内規基準の制作をはじめ来年度から正式に実行されます。これからの説明は人道人権主義者の方々には引っ掛かる事もあると思いますがきっとご理解願えると思います。
 私がこのコラムの書き出しで紹介した「涙が出てくるほど悲惨な子供たち」は黒カードです。ホームレスシェルターでの食事提供などは緑カードです。
まず、なぜホームレスが緑カードなのか説明しましょう。彼らは声を持っているからです。社会的問題提示の力もあり、そしてそれに答えるべき行政側も敏感です。対して、子供たちには声もなく、価値観に対しての教育もなされていないばかりか、ときには人間以下、牛よりも下というケースが存在します。宗教上やカースト制度などの影響下にあるのです。ここに無理やり赤か黄のカードを適用しても無駄とは云えませんが「他にやらなければならない事、すぐに救える人」が赤、黄カードとしているのです。胸がはちきれそうでも「子供たちの将来のために」まずは効果がすぐ現れるカードから支援し、その結果として最も助けの必要な黒カードが改善されていく迂回の手段です。
 私たちがバングラデシュなどで活動を始めてから、様々なメールをもらいました。多いのが「あんたの支援をしているところは恵まれている。俺のところはーー」と書いて悲惨な写真を送ってくるものです。中には「そんな支援予算があったら俺に任せてくれ、上手に配分する」という呆れたメールも数通あります。
 以前エミリーブッシュAHAN日本館総本部インターナショナルデレクターがバングラデッシュのNPOなどを統括する政府機関に口座を開くための許可をもらいに行ったらそこのトップ責任者が「私にはいくらくれますか」と平然と要求する状態ですからバングラデッシュのソーシャルサービスに期待するのは時間の無駄と云う失礼な事を云いたくなってしまいます。政府機関がこの程度ですから民間の状態たるや支援に便乗する偽善者がはびこります。
 それでも、こう云ったメールを送りつける者に関しては「多分、英語表現の不足から誤解を招く文章になっているかも」という事で現地のAHANスタッフに調査させる事にしています。確かにかなり困窮している孤児院などを運営しているのが確認できても自らの組織の声を発信できる団体は黄カードなのです。つまり急な支援は必要ないということです。緊急医療トリアージでも痛みの表現や症状を激しく訴える事の出来る患者は一般的には黄カードになります。
 もっとも手を差し伸べなくてはならないのは、組織を持ち、その運営に関しては外部の支援が欠かせないのだが支援を得る能力や経験を持たない。つまり声を発信する事の出来ない、いわば赤カードの意識不明の重態患者といえます。
 つまり支援が他の団体からも受けられる可能性のある団体は黄か緑。AHAN日本館総本部の最も支援すべき団体とは、組織施設があっても他の支援団体からの援助も無く、僅かな支援さえあれば多くの効果が現れる「赤カード」の施設です。そのトリアージ判断のためには信頼できる現地スタッフと定期的な総本部からのスタッフ派遣などが必要とされます。
 また重要なのは足元の割れたガラスを拾うのではなくビンを捨てない教育が大切でありゴミ箱の子供たちを救うより優秀な将来のソーシャル指導者を育てる事が結局は悲惨な黒カードの子供たちの将来の改善に結びつくと考えます。将来の指導者は同じ境遇の中から育った者が適任である事はいうまでもありません。

この日本館独自の視点における「AHAN日本館支援トリアージ」を適応した成功例がバングラデッシュにあります。紹介したいと思います。

10月1日、今年の春に続いて2度目のバングラデッシュを訪問してきました。首都ダカにあるアッテカナ女児孤児院への緊急支援物資の手配とダーマジカ仏教寺院男児孤児院に届いたコンピューターの利用状況確認のための訪問でした。

■生かされる善意、AHAN日本館バングラデッシュ活動

■バングデッシュ洪水支援マラソン講習会

ダーマジカ寺院の孤児院は大きな寺院の中にあり、寺院は一般の子供たちの私立学校やデニムの工場なども持っており自立している、いわば緑カードの施設です。なぜ緑カードを支援かというと、私立学校の子供たちと500人余りの男児孤児が仏法のもと平等に扱われているという事にありました。小中学校の教育期間に一般の子供たちが孤児達と接触しながら暮らせる事の価値に対して支援を決めたのです。カーストや生活の違いの垣根を越えた子供たちが一緒に育つ事こそ将来の黒カードの子供たちの生活改善に結びつくと判断したからです。ちなみにこの施設の医療部門のスタッフはヒンズー教、イスラム教、仏教、キリスト教など宗教を超越したスタッフでこの部分も私にとって信頼できる団体と判断した経緯があります。そしてこの寺院は期待通りの団体でした。
 少し前に日本館総本部から届いた50台のコンピューターのために不足していたハードドライブを手渡そうと建物の中に案内されたとき驚きで目頭が熱くなってしまいました。後述しますが、様々な事があってやっと届いたアメリカ人の善意である50セットのコンピューターが見事に蘇っていたのです。


整ったコンピューター教室



コンピューターには日本館のロゴマーク



調整ルーム



テキストクラス

教室は三つに分かれ基礎知識を本などで学ぶ教室、実際にコンピューターを扱って学ぶ教室、修理調整などを学ぶ教室があり、それぞれの教室で将来のもっとも信頼できる支援者に育つであろう青年男女や修行僧が熱心に学んでいました。そこに置かれたコンピューターの横にはしっかりAHAN日本館のコンピューター里親(支援者)からのメッセージシールが張られていました。どうしても調子の悪いコンピューターは解体されて修理調整の教材となっておりすべて無駄なく生かされていました。もし地方の設備も整っていない施設に贈ったとしても有効活用は此れほどまでには出来ない事でしょう。支援活動には「悲惨さ」だけではなくその団体の許容度を判断する総合的なトリアージ判断も必要なのです。
 
 支援された側のトリアージ効果の成功と供に忘れてならないのは「支援した側」の者たちの多大な貢献です。昨年の11月に大手企業からほぼ新品に近いコンピューターのセットを70台寄付されました。内50台をバングラデッシュの仏教寺院にある孤児院に寄付する事になり発送しました。といっても送料もかかります。そこで日本館総本部の門下生たちに呼びかけてコンピューターの里親となっていただき、里親となったPCを寄付するかたちをお願いしました。里親料はワンセット20ドル、一人で数セットの里親もいて一台のコンピューターに数人の里親が付く有様でした。これで送料や必要部品の購入費もまかなう事が出来たのです。
 ところが、これまで150セット余りを必要とする国々に送ってきましたが、今回は少し困った事が起きてしまいました。それはバングラデッシュの港に到着してからの事でした。国連加盟開発途上国への中古コンピューターの発送はP4以上でないと出来ないという国連の方針が出たのです。
 それはこんな理由からです。米国内ではコンピューターを資源リサイクルしようとすれば7ドルから10ドル、モニターは10ドルから15ドルを専門リサイクル業者に支払って引き取ってもらわなくてはなりません。(あくまで法に従ったらの事ですが)そうして引き取り料金を受け取っていながら一部のリサイクル業者は大量のリサイクル品を開発途上国の廃品処理業者に引き取り値の数パーセントの金を支払い「開発途上国用PCのドーネイション」として売却、処理業者は海洋投棄や陸揚して山中に放棄する問題が頻発し、とくにモニターには有害物質も入っているので深刻な汚染問題となっているのだそうです。
 私たちのPCはP4でもあったにも関わらずバングラデッシュの税関で4ヶ月余りも足止めされてしまったのです。悪い事に丁度その頃バングラデッシュは政府高官の殆どが投獄されるという政治危機が発生し、通関業務も汚職の温床であったらしく担当者が不在の状態。通関に4ヶ月も留め置かれ保管料が加算されてしまいました。(輸送大手会社フェデラルエクスプレス社の「人道支援」の一環として保管費用は無料となりました。)そんな事情のあるPCが50台すべてお寺に届いたとの知らせがあったのはもう諦めた頃の事でスタッフ全員がハイファイブをして喜びました。いわば救急医療トリアージのために一般市民の献血が無駄に成らずに済んだという事になります。
 先進国で厄介物となって捨てられる物が国によっては立派な教育機器として蘇り、贈り主たちもただお金で済ませるのではない「循環型生活の良い例」としての啓蒙となったのです。贈られたPCが開発途上国で本当に使用できなくなってしまっても、プラスチック、銅線、ビニール、希少金属などを丁寧に分別し再利用しています。私はモニターのケースが飾り箱や仏壇になっているのさえ幾度も見ています。「エ!!此れ売りもの」と驚くような物しかない廃品屋で夢中でパソコンの部品などを探している学生も沢山います。まだ多くの開発途上国の庶民には夢のような、手の届かない価値ある品物なのです。
 一部の心無いリサイクル業者のために私たちの「効果ある活動」が足踏み状態にありますが、今後関係機関と交渉のうえで何らかの許可を得て活動を存続できるようスタッフが頑張っております。

 さて今回の訪問で訪れたもう一つのアッテカナイスラムモスク女児孤児院は赤カード支援の典型的なものです。国や支援団体からの支援は皆無で、と云うより受け入れたくとも方法すら見当が付かないばかりか「支援者に呼びかけて支援を得る」と言うアイデアすら存在しなかったようで、わずかな信者の寄付で300人以上の女児に食事と衣類を与え、教育をするだけで精一杯。スタッフ自身も施設経営のマネージメントを知らない状態なのです。その原因を考えた時、無視できないのが宗教観です。イスラム教では豊かな者が弱者を助けるという教えがあり、ラマダン(断食月)等の教えは自ら食を絶って貧者に施す事にあります。したがって弱者の施設である孤児院などには当然の如く施しがなされ、あえて求める必要は無いという宗教者の既成観念があります。それが托鉢などを積極的に行なう仏教寺孤児院とは随分異なり、その違いが施設の運営を大きく左右しています。このモスクはあと少しの手助けと助言をすれば赤から黄、緑カードになる施設なのです。施設建設の工事が止まったままなので尋ねると「セメントを買う事が出来ず、セメントを寄進する人を待っている」という答え。待っていないで外に呼びかける手段を知らないのです。


勉学に励む子供たち



収容オーバーの状態



伝統習慣が改善を阻む


私はこの施設は生活環境の改善、教育施設の支援、食事管理などの支援だけではなく「どうやって孤児院を運営するか」の指導助言をし赤カードから緑カードに引き揚げる事によって黒カードの子供たちの引き揚げに繋がると確信して支援をしています。決して黒カードの子供たちを見捨てている訳ではなく、いまある施設を充実させる事によって黒カードを減らそうというのが私の考えでありAHAN日本館総本部の支援トリアージ指針といえます。

 それにつけても急務なのは支援トリアージを判断解釈できるリーダーの育成です。こう云った施設で働く若いスタッフを教育する機関が民間ベースであっても良いのではないかと最近強く考えています。現在の米国では開発途上国の方々が入国する事すら難しい状態であり、米国は諦め海外に教育拠点を開設するのもアイディアとして浮上しています。現地人スタッフの養成こそが来る平成20年度のAHAN日本館総本部の大きな目標でもあります。

 日本館は合気道道場でありながら20年近く様々な公共活動をし、2001年に正式にAHAN日本館を立ち上げ活動の幅も国際的な規模に発展してきました。別に分厚い手引書を参考に始めたものでもなく失敗の積み重ねで現在があるというのが正しいかもしれません。しかし私は「失敗の部分」が大切ではなかったと思っています。つまり失敗の積み重ねです。これは資料で学べるものではなく全身五感を持って学ばなければ身に付く事ではないのです。
 
 さて「国際支援、貢献学科」の充実を、と言うこのコラムのタイトルをなぜ付けたか理解戴いた事でしょう。支援、貢献スタッフを専門に教育して世界に送り出す学科が大学などに「もっと」あっても良いと思うのです。周辺国の言語、習慣、政治、歴史、経済、支援貢献に役立つ技術の習得など充分カリキュラムは組める事でしょう。
 
 世界を舞台とする支援貢献トリアージの場で即役立つ人材育成が急がれると思うのです。


     平成19年11月10日
東チィモールに向かう機内にて
日本館総本部 館長 
本間 学 記



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