館長コラム◆◆  

「守破抜け」の合気道
 

 日本館で内弟子をしたイタリア人門下生から面白いビデオが送られてきた。
このプロモーションビデオの主が言うには「故斉藤守弘師範の弟子で開祖最後の内弟子、開祖亡き後も斎藤師範に師事した云々」との事、ビデオの内容といえば触れずして相手を倒す「合気道開祖直伝の極意」と自称する「遠当て」と云われる演武である。更にリンクの中には全日本合気道演武会で同じような技を披露する高名師範の映像もあり、映像には技が決まるたびに周囲の笑い声が入っていた。

 1971年藤平光一先生が「気の研究会」を発足させ1974年心身統一合気道(米国ではKI-AIKIDOと呼ぶ)の普及を始めた。潜在的な人間の強さを発掘し、仕事も恋愛も成就し、重い病気も治し、更にはゴルフなども上達するというバラ色の「気」を説く武道であった。その思想哲学は非常に興味深いもんであったが多くの疑問も生まれていた。数人の屈強な男が差し出された腕に取り付いて曲げようとしても曲がらなアンベンダブルアーム、同じく屈強な大男が両脇を抱えても上げる事が出来ないヒューマンアンカー、二人を馬にさせその上に橋のように横になり数人の人間を座らせるヒューマンブリッジ、英語名は忘れたが二人の人間に其々両腕を持たせ高々とリフトアップさせ二度目にやると上らない演武など様々なものがあったがどの説明演武も私には怪しげなものにしか見えなかった。更にこれらの説明演武をしながら様々な気の哲学を付け加えるのだが、まずは「気を理解していないとこの様になる」と参加者全員に前置きし、会場から選んだ受講者はいとも簡単に腕は曲げられ、体は中に浮き、身体は折れてしまうパフォーマンスを大げさに「実演」する。やがて落ち込んだその受講者を励ますように「気の巧妙」を説きその指示通りにやると驚異的変化をし数人でも曲がらず、身体は浮かなくなるのである。しかしこういった類のトリックは昔、インチキ薬を売る祭りの香具師たちの常套手段で、私も子供の頃の思い出と重なって複雑な思いであった。(ただし現在においてはどのように成っているのか不明である、コレはあくまでもKI-合気道創成期の頃の話である)
 私は25年以上も前に出版した英語版著書「AIKIDO For LIFE」でKI-合気道の説明演武に関する人心操作術的トリックを公開した。資料は当時米国フィラデルフィアでKI- 合気道指導者としてシカゴの故豊田文夫先生(後にAAA創始)と供に中心的活動をしていた丸山修道(修二改め修道 現、合気道光気会 会長)先生より1976年に戴いた小本で、いわば「気クラス指導者用のネタ本」である。いかに説明演武をしながら相手をコントロールするか、つまり入会に持ち込むかが具体的に書かれている。暫らくは私も「成るほど」と思っていたが修行の本質を考えた時、この道は開祖の残した合気道ではないと判断しそのトリックの公開をしたのである。そのため多くの合気道家から「本間の合気道には気が無いのか」と質問や抗議を受けた。しかしながら現在も7ヶ国語に翻訳されて増刷が続ているところを見ると多くの合気道家に納得を与えているものと思う。現在英語版は日本館ホームページで公開されている。
 私は気を否定しているのではなく、そういった事の錯覚から目を覚ましてから気を考えなさいと言っているのである。私は世界を廻っての講習会で曲がらない腕、上らない体、動かない体などを10分も要せずそのトリックを解く指導をしてしまう。終了後に会場は大きな笑い声に包まれる。合気体操のときに「気のテスト」と称して押したり引いたりして確かめる、動じなくなった人を大げさに褒め、ときにはわざと動かして集中力の無さをを嗜め罪悪感を持たせ更なる没頭を誘う。こういった手法で合気道を稽古し悟ったと錯覚しているようでは人生全てのボタンを掛け違えてしまう。KI−合気道発足数年にして米国の組織が大きく分裂したのも納得のいく事である。数十年過ぎ最近はこのようなデモをする合気道家を見る事も少なくなり、KI−合気道の存在も静かになった。

  ところが、もう合気道家はこの程度では騙されなくなったと思いきや、更なる非現実的な姿に変化して存在し肥大し始めた。それがKI―合気道から漏れこぼれたように表れた「触れずに気で倒す」という合気道師範の誕生である。
 女優の由美かおるを育てたある有名なダンス指導者が始めたものがバライテーショーで脚光を浴び市民権をえた。確か由美かおるは現在合気会合気道有段者、そのダンス指導者も合気会合気道を稽古していたために合気道の一部の如き誤解を視聴者に与えたのである。そのブームに便乗するがごとく「遠当て」を売り物にする合気道指導者がどこからともなく「開祖、開祖」と連呼し開祖の衣を纏い世界中を飛びまわりはじめた。あたかも「開祖の終焉に極めた技」とばかり説明し演武を行なっているがそれは事実ではない。開祖のあの動きは指導上の「簡略の動き」であり一人で自由に動いている開祖に弟子たちがついていったに過ぎない。つまり受けの弟子たちが必死で取っていた受身に過ぎない。公開演武におけるあの開祖の動きは朝の合気神社内での祭事でいつもお一人でされていた動きである。また座っている開祖の頭を押したり、半身に構えた腰を押す時は私の後ろから押す数人の人たちの力が開祖の頭や腰には通らないように踏ん張ったのが事実である。つまり押していないし、押してはならなかったのである。この事実を知っている古参師範は沢山いるが「戦場の手柄話し」宜しく事実を語ることは少ない。従ってこれら合気道指導者が「自己の技が本物の開祖直伝の技」と主張し触れもしないで相手を倒していたらそれはその指導者自身の「行い」であって全く開祖とは関係の無い技なのである。ましてや何人も列を成したり、囲んだ受けを一瞬の内に手も触れず倒すショーなど晩年の開祖に見た事は無く見た人も存在しないであろう。

 「開祖直伝終焉の技だ」という人までいる。とんでもない、そんな事を習った人などいない。開祖の晩年、入れ歯を磨き、風呂で身体を洗い、髪や髭を整え、足をもみ、霊界物語を枕元で朗読し、夜中に怒りだす開祖に怯え、徘徊の後を付き添い、食事を供にした開祖の傍付きであったのは山本(旧姓)菊野さん、そして私しかいなかった。いま考えてみると大変な苦労であった。もちろん斉藤守弘師範、奥様も大変献身的なお世話をされたが同じ屋根の下で住でいたのはまだ二十歳前の私たちだけであった。開祖の毎日は訪れる人も無く孤独な毎日で、訪れても開祖のご機嫌を伺い玉串と酒を斉藤家に預けて引き揚げる有様であった。記憶にあるのは園田直大臣の奥様や砂泊誠秀先生の奥様が訪問する時は前夜からご機嫌であった事くらいであった。認知症の症状と思われる突然の東京本部訪問。上京を伝える電話に「とにかく止めるように」と指示を受けたのは数え切れない。引き止める事が出来ずに開祖がたまに本部に行っても到着の知らせを聞いて裏口から出て行ったのは当時の指導部の人たちばかりか息子すらも同様であった。とても傍にも寄り付けなかった人たちが「開祖直伝終焉の技」など開祖から受けるわけが無い。たとえ岩間で稽古した門下生でも当時はすり足の音しか許されない稽古であり、現在のように派手に飛んだり畳を強く叩いたり気合を出したりする事は開祖の稽古では許されず、多くの先輩たちは開祖とは稽古以外は顔を合わす事も無かったのである。開祖の名を使い指差しただけで人を倒し「これが合気道」とはなんと高慢な思いであろうか。
 
 こういった指導者は過去にKI−合気道の指導者たちが「疑問を口にする見学者や投げられても倒れもせず立っている人に対応する方法」マニュアルと同様な事を平然と言う。「残念な事だ。貴方にはこの素晴しい気のパワー、(共鳴、共振、遠当てEtc)の心を受け取る器が存在していない。だからこそこの稽古が必要だ」と逆に入門を勧めるのが一般的である。似たような事をする武道家が僅か数秒で格闘家に倒され病院送りとなった映像はこういった合気道指導者と同じページにリンクされていても平然と「開祖が開祖が」と云っては馬鹿な事を繰り返している。これ以上開祖の名を汚して欲しくはない。一見悟りきった合気道家は「守破離の離の境地といえる」などと寛容な事を云って理解を示しているが「離」の境地とは「守、破」を超えて独自の境地に至る事と聞く。それに添えばすでにその技は開祖の合気道とは別物となる。果たしてこれらの指導者はどうだろうか、開祖開祖と連呼して開祖存命中では見る事の出来なかった技を平気でやっている。開祖が見たら当然のごとく激怒するだろうと私は思う。
 開祖の残した合気会本部もこれら指導者に毅然とした判断をしないと世界の指導者が高齢化している現状からみてもこの不思議な合気道が蔓延する危惧がある。現に世界各国の合気道の稽古において技の途中で止めて受身を取らない有段者を実に多く見かけるようになった。また指導者の多くに、しっかりと持たれて、打たれて取るべき模範演武が「簡略された」動きで指導しているのを多く見かける。中には相手にろくに触れもせず入り身投げなどをした後に首にかけた手を大きく上げてそのまま数歩前に進むという開祖晩年の映像コピーを平然と行なっている指導者もいる。あの数歩は勢いついた開祖が止まる事が出来ずに前にのめっていただけの事でお傍の者は倒れないかといつも心配していた。

 知識の上だけで守破離を理解し先の二つを飛び越えて「離」の境地を指導しようとする合気道指導者とは、KIばかりを重視し幾つかのモットーの実践によって短時間で合気道のエッセンスを学び利を得ようとする行為と本質は同じである。
開祖は「合気道は禊技」と残している。ご利益追求の武道ではない。

 ほんのつい最近まで指で回していたダイヤルが現在では指を軽く動かすだけで使える。それどころか声をかけただけで思いのままになってしまう。本当に便利になり一瞬のうちに情報が得られ世界とつながる事が出来る。いままで記憶しなくてはならなかった番号も漢字も記憶の必要もなくなった。学んだ事を必死でメモした事も、一瞬も見逃さないと夢中になった事も今ではすべて手の平の携帯がやってくれる。これほどの高機能に至った技術開発の努力など詮索する必要もなくより新しいものへと飛びつく消費者のように、修行過程を重視しないで結論のエッセンスばかりに飛びつく合気道家が多くなってきた。合気道という道の習得進化にあっては終末的現象に向かっている様な気がする。高度な映像技術やネットシステムの大衆化などで「エッセンスの切り売り」傾向は強まる事であろう。
 
 「本当にこの人が合気会の有段者7段だって。しかし基本の動きや技はなにも出来ないじゃないか。やっているのは良く調教された受身を手も触れず投げているだけ」こんな陰口を言われる指導者が実に多くなってきた。ある国では袴を前後に着けていた合気会有段者も公開の場で堂々と指先演武をしていた。
修行の過程とも言われる「守破離」。「守破」の抜けた「離」だけの合気道が大手を振って歩くのもそんなに時間は必要ないであろう。
 
 若い合気道家の皆さん。真面目で忠実な受身の上手な人がいればあんな演武など誰でも出来る。私は開祖の受身を取ったが開祖に投げられた時など一度も無い。ただ夢中でよい受身を取ろうと一人受身の練習ばかりしていたものである。貴方も冗談半分で仲間と「遠当て」をやってみればよい。タンゴ風、サランサ風、ジャンケンで負けた方が飛ぶというのも良いかもしれない。そしてユーチューブにでもアップし互にそのユニークさを競い多いに楽しむ事を奨励したい。そしてそれがいかに滑稽な事であると気がついたら大きな進歩である。
 傍つきの者は主(あるじ)のプライバシーを知る立場にあり表に出てはならないのであるが、最近は開祖の伝記も事実ではない誇張や神格化がみられ、同時にその神格化に便乗して自己を売り込む者も現れ一鐘を鳴らした次第である。
私は合気道修行に関しては「守、破」の繰り返しが道であると思う。安易にこういった指導者の演武に惑わされず地道な毎日の稽古の積み重ねこそ大切と思っている。
 最後に禅話の小話をひとつ。
  朝の座禅を終えて若い雲水が老師に尋ねた。「老師は何処でどのようにして悟られたか?」「10歳でこの寺に入り80歳も過ぎたころだろうか、夜、寺の石庭を歩き工夫をしていた。そのとき庭石にスネをぶつけてしまった。イタッ、その時に工夫が解け悟りを開いた」。翌日の夜、若い雲水が列を成してその庭石にスネをぶつけていた。さすが禅話、私が述べようとした事を数行で述べている。


                        
                        日本館 館長 本間学
   平成25年9月20日記
                        



 


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