東ティモール旅日記

平成20年2月5日〜2月11日までの本間館長の東ティモール旅日記を丸ごと掲載しました。
 

2月5日
 バリのデンパサールから首都ディリに。メルパチ航空機内は今回もとにかく寒い。これほど冷やす必要があるのか?同席の客が忍び込む蚊や蝿などを殺す為と云うが、他の客は実際は中古機を使っているのでコントロールが効かないのかもしれないと言う。乗客の多くは国連などの男性客がほとんど。数少ない毛布を女性に譲る。男は辛い。
 イミグレーションへ、開発途上国のイミグレーション制服組みに共通している「権力意識」はここも同じ、モンゴルより少し良いかも。


TAF役員の方々、ジアド氏、フランシスコ会長、警備の方、メリー さん、ジョイさん

 迎えの国連警察指導官のジアド氏と国会議長(現大統領代行〕夫人のジョイさん、女性解放運動の活動家リーダーのメリーさん、TAF会長のフランシスコさん、事務長のヤニオさんの5人で日程の確認。政府関係者との面会などが多く、いくつかをキャンセルしてもらう。私は中立な立場で合気道を指導するのであって、あまり政府関係者との色付けが有ってはいけないと感じての事。話の途中メリーさんが東テモールの状況を涙ながらに語る。


専用道場は狭い

 早速稽古に、様々な参加者。経済副大臣、武術戦争でのかなりの経歴を持つ者、家庭内暴力から逃れている女性など。皆それぞれに訳あり。専用道場は狭く電灯なし、攻撃的な蚊には絶対の勝ち目なし、あわてて虫除けを塗る。
夕食はジャイカ現地事務所で4年目の和田泰一先生と食事。和田氏は現地合気道のパイオニア、現在も続けている。


和田泰一先生と


(編修部――東テモールの合気道の歴史などはこちらをごらんください。)

■本間総本部館長 東ティモール合気道講習会


2月6日
午前中、かなりの暑さ、外に出たらテーシャツが直ぐに汗ばむ。訪問国での楽しみは庶民の生活の場に入る事。その国の本当の姿がある。特に青年たちの生活、町の落書きなどを取材する。午後、東ティモールオリンピック委員会グラスカラオ会長と面会。国民の60%が25才から35才という若い国にあってスポーツの重要性を語られる。


グラスカラオ、オリンピック委員会々長と

 現地武道指導者との昼食会は今回の訪問のもっとも重要としていた日程。バフェスタイルのインドネシア料理店に13名の武道指導者リーダーが集まってくれた。それぞれの勢力は、小林寺拳法14道場600人、松祷館空手30道場3千300人、テッコン道50道場5千人(数字の確認は不可能)など6種、大変有意義な時間を過ごす。日本館デザインの「マーシャルアート フォア ピース」のテーシャツを配る。年に一回は合同演武会をやる事を申し合わせる。また小林寺拳法の指導者より「武道一本でやっているが自分たちの暮らしすら大変である。しかし、孫の代になってわたしたちの努力がわかってくれれば良い」この言葉に感動する。


東ティモール武道関係者との昼食会で



少林寺拳法の方々と

 夕方は国会議長宅で夕食会、6人の警察官が24時間体勢で警備をする自宅は仮の住まい。国会議長であり現大統領代行のフラナンド.アラ.ホ.サマ氏は独立前は1991年ー1998年まで当時の政府によって投獄された経験をもつ。
50人ほどが集まり昨年ギャング紛争で亡くなった3名の為にキャンドルサービス。伝統料理を食べ2時間ほどで、警護のトラックに守られてホテルに戻る。


大統領代行宅でのパーテー



フラナンド.アラ.ホ.サマ大統領代行と



昨年派閥闘争で亡くなった同士を偲んでキャンドルサービス



郷土料理が並ぶ

2月7日
 一日中市内を4時間余り歩き、原稿のための資料集めをする。暑い。
夜6時から稽古、杖や木剣がないので前日に杖の長さに竹を切っておくよう頼んでおいたら、人数分の具合の良い杖が出来上がっていた。竹は肉厚のため杖の太さでも充分重くしっかりしている。木剣用の竹は素振り刀なみの手ごたえ。初心者には重かっただろうが私は大いに気に入り満足した。日本館杖の型を稽古。


竹で作った杖で稽古

2月8日
 午前は女性支援のNGO「FOKPERS」を訪問、活動内容、とくに家庭内暴力や女性に対する犯罪、女性権利擁護などについて説明を受ける。しかし全体的に男性に対して敵対して戦う姿勢に私には受け取られた。指導を依頼されたがやんわりと断る。敵対する事ではなく理解し合い調和する事に合気道の価値がある。抵抗するための合気道ではない。それを理解させるためには少し時期が早い。人心がそういった器に入らなければ何をしても変化は起こらない。


FOKPERSをジョイさんと訪問

 カソリック神学校の堀江節郎神父を再訪する。堀江神父はブラジルのアマゾン近くの町で15年間神父を勤められ、東テモールに転任7年となる。2006年の騒乱時の罹災民がいまだに教会の敷地各所でテント暮らし。神父はその世話をし、思わぬ出費は神学校生たちが食費を切り詰めて賄っている状態。神学生の食事内容に驚く。罹災児用の粉ミルクを日本館AHANより寄付する。
 午後はギャング集団の落書き取材。


堀江神父をたずねて



神学生の質素な夕食

2月9日
朝8時より朝稽古3時間。体術の稽古のあと竹製の木剣、杖で稽古。
昼食はベトナム料理のあと町の取材。夕食は国連経済顧問や日本大使館スタッフ、インフラ専門スタッフなどとブラジル料理。世界各国の国連関係者が滞在しているため各国レストランがある。


サテライトはいたるところに。情報量は多い



整然とした市場

気の毒ではあるけど


余り傍に行かない方がいい

旧正月で獅子舞がねり歩く

2月10日
 午前の稽古を終え午後は取材。朝の稽古のとき外に集まっていたグループに興味があり現場に戻る。その数は300人余りに膨れていた。稽古着に似せたユニフォームを着ている。ベルトには十字架が付いて黙想には十字を切る。全員素足である。1993年ころから始まったコルカという団体である。発祥はインドネシアといわれる。実に整然と統率が取れている。残念であるが彼らの技は見れなかったが「ワイルドな武術モドキスポーツ団」とでも。ほかにインドネシアの武術の集団がシラト(Silat Kanvung)がある。また55や77といわれる集団は祈りや祈祷などを特に重要とする。コルカの幹部とじっくり話す事が出来た。


コルカの武術集団



リーダーの一人と

 滞在最後の夜、世話をしてくれたエジプト人合気道家で現地指導をしている国連警察射撃指導員のジアド.アブアメ氏と日本レストランで食事。今後の指導について話し合う。

そろいのテーシャツでピクニック、裏表

2月11日
 朝の散策をしているときにその異常に気が付いた。上空をオーストラリア軍のヘリコプター数機が低空旋回し国連警察や軍の車が騒がしかった。朝、打ち合わせに訪問した警察学校の校長から状況を聞いて重大事件が発生した事を知った。東テモール第2代大統領のホルタ氏が自宅で襲撃を受け負傷、首相も襲われたという。私はその日の昼帰国する事になっており非常事態宣言発令前に脱出する事が出来た。2005年のネパールにおける「王様のクーデター」の朝かろうじてカトマンズを脱出した時よりは町は平穏だった。といえる。軍人の差別待遇に不満を持ちその改善を求めた不満分子の仕業。国会や放送局の前にはオーストラリア軍の装甲車や軍人が配置についていた。


ホロネイ警察学校長と



放送局を警備するために出動したオーストラリア軍

 非常事態宣言が出る事を予想して早めに飛行場に向かう。まだ発令なし。
混乱が起きない事を祈り飛行機に乗り込む。乗り換えのため滞在となったバリ島。
観光旅行の日本人や好景気の中国系の若者たちであふれる。たった二時間余りの空の距離でこんなにも違う。諸行無常なり。             

本間記

 




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