■一期一会

私は一か月間だけ日本館で内弟子として稽古をする予定でしたが、本間先生のお誘いにより2週間弱の間タイに行くことになりました。本当にジャングルですごい環境だから覚悟したほうが良い、と先生から言われましたがこのチャンスを逃したら二度とそのような体験はできないと覚悟を決めてタイ行きを決意しました。タイといってもミャンマー国境付近にあるカレイ族の集落で、もちろんコンビニやスーパーなどは無いところです。そのような今まで経験したことのない環境に自分がおかれたとき、自分はいったい何ができるのかと興味もありました。もちろん私は建築に関してど素人であるので、こちらから何かを与えるのではなく、邪魔にならないようにかつ私のできる限りの補助をし、少しでも多くカレイ族の皆様から学ぶという意気込みで臨みました。

タイの首都バンコクから西に車で5〜6時間ほど移動し、山奥の舗装されていない脇道を少し進んだところにその村はありました。村に入る前にその村のリーダー的存在のビレイさんと出会いました。本間先生からビレイさんは小児麻痺により下半身の成長がとまり、膝と手で歩いているという話を予めお伺していました。しかし私がビレイさんと初めて会ったとき、彼はサイドカー着きのバイクに乗っていました。ギアは足で変えることができないので木の棒でペダルを押して変えているそうです。日本やアメリカなら当然危険なので乗るのは無理ですし、許可もおりないでしょう。しかしそれを乗りこなす逞しさというか、寧ろ我々の虚弱さを思い知らされました。その少し先に、竹などで組んだ家が3〜4軒と去年建てた小さな教会がある小さな集落がありました。その日はただの視察だけで次の日から本格的に作業が始まりました。私ができることは限られているので、砂や石を運んだり、地面を掘るなどの作業をやりました。日本やアメリカのような先進国との大きな違いは女性や子供も作業に参加し、かつ男女によって作業内容にほとんど差がないことです。女性でも鍬を持ち力作業をこなし、子供でもセメント作業や重いものをもったりしていました。ジェンダーや年齢により仕事の差異はなく、”自分にできることをやる”という概念があるのでしょう。それは自分の立場に甘えることなく積極的に社会に貢献していくという、現代の日本社会に確実に足りないものであると思います。それはビレイさんほどのハンデを負った方でも同じで、鍬を持って溝を掘り、セメントを固めるなど、他の身体障害者の方には決してできないであろう作業も難なくこなしていました。もし日本であれば、そんな人に危険な作業をやらせるなんてと様々な団体からクレームがくるでしょう。しかしビレイさんにとってそれは何の障害でもなく、ただ自分に出来ることをやっているだけなのでしょう。しかもビレイさんは率先して作業を行うのでビレイさんは皆からの厚い信頼を受けています。バイクでUターンをするときなど、ビレイさん一人ではどうしようもないときにすぐさまその補助をします。先天性四肢切断である日本人の乙武洋匡氏がよく障害者というだけで憐憫の情をかけられるといったことを話されますが、それは障害者にはできないことが多い故のある種の偏見であり、それこそが差別であると思います。しかしビレイさんは障害者ではあるもののその不自由をものともせず自分のできることを行っています。これこそが本当の意味で障害者差別をなくすために必要なことであり、乙武氏が訴えていることはまさにこのことだと思いました。

私はカレン族の多くの人と触れ合いました。数人の人は英語が話せましたが、ほとんどの人は当然話せません。その中でそこに溶け込み、受け入れてもらうというのはそう簡単なことではないと思います。しかしそういった異文化に認めてもらうには、細かいところから同じ行動をとるのが最良であると私は考えます。たとえば食事は教会の入り口の軒下でとりましたが、そのとき現地の人は今靴を脱いで上がります。初めは気づかずに靴のまま入ってしまいました。現地の人は当然気づいていたでしょうが、異文化だろうと大目に見て注意をしなかったのでしょう。しかし、現地の人のルールに背いていては絶対に受け入れられないだろうと思い、急いで靴を脱ぎました。他にも食事の前に必ずお祈りがあるのですが、キリスト教徒ではない私も必ず祈り、日本のようなアニミズム的な神に感謝するのではなく、キリストに対し感謝するようにしました。その辺は詳しくないので正しくは間違っているかもしれませんが、可能な限り心から現地の人と同じになるように気を配っていました。当然食事も全く違いますが、なるべく好き嫌いをせず、すべての料理の味を堪能するようにしました。私がカレン族の人々に受け入れられているかはわかりませんでしたが、最終日に我々への感謝のセレモニーが行われたとき、我々に対しあたたかいお礼を言われ、言葉は通じないものの受け入れられているということが実感でき、とても嬉しく思いました。別れ際に子供たちが私にカレン族の言葉を教えてくれて、純粋な子供からも受け入れられていることがわかり、心には達成感が満ちていました。先生の造語で”文化直流”というのがあります。交流ではお互いの違いを示して終わりであり、現地の人に倣ってこそ溶け込めるという意味での言葉だそうです。日本の諺にも”郷に入っては郷に従え”というものがあります。同じ目線で物事を見て初めて相手を理解できるのだと学びました。

ビレイさんの他にも多くの素晴らしい人に出会いました。中でもスナイさんとルカイとは多くの話をしました。ルカイは大学4年で歳も近いということもあり、多くの話をして”文化交流”をしました。またいつか出会いたいと思う人たちばかりでしたが、お互いの事情を考えるとまた会う機会などまず無いでしょう。しかしこの出会いを後に残さずに一緒に何かをしている瞬間を大事にするということが一期一会の考え方であり、それが本当の出会いであると思います。私はこのミッションで出会いの素晴らしさを堪能することができました。この経験は私に大きな影響を与えました。この素晴らしいプレゼントをくれたカレン族の皆様に報いるためにも私はこれからの人生を立派に過ごし、いつかどこかに還元しなければならないと強く思いました。もしまた似たような機会がありましたら日本の燻っている若者にぜひとも参加してほしいと思います。最後に私にこのような素晴らしいものをくれた本間先生とカレン族の皆様に感謝の意を表して締めさせていただきたいと思います。タブルー!

       遠藤 駿

→上に戻る