館長コラム◆◆  

「エンゲージド ブドウイズム」思考
    Engaged Budoism  2008年に感じたこと
 

 どうしても日本語に訳しきれない英語と言うのは結構多い。たとえば「神」、GOD一本では世界中から「それは私のことです、私こそそうです」と現れてくる。皮肉にもそれが世界の争いの種になっているが。
 今回の題名「エンゲージ(ド)」も辞書で引くといろいろな意味が出てくる。さらにその前後に言葉がつくと別の意味ともなってくる。
 ブドウ(武道)イズムは私の造語であり武道思想主義とでも理解してほしい。後は文章から理解していただきたい。

 昨年9月ミヤンマーで僧侶たちが立ち上がった、軍事政権に対する抗議活動は僧侶2万人のデモにまで発展した(資料、コロラドビルマ協会)。そして本年3月にはチベットのラサで中国政府に対する反中共デモが起こった。この二つのニュースはトップニュースとして世界に流れ、僧侶たちが叫び、倒れ、逃げまどう姿が茶の間に飛び込んだ。仏道に励む僧侶たちが寺から飛び出し大衆たちと決起した事が世界中のメディアの注目となり紛争の根源が世界中に明らかにされる事になった。
 国際政治バランスの絡んだ政治的背景の中で、本来「静かなる仏教者」の死傷者、逮捕者多数のニュースはそれぞれの立場で「有効利用」されたといえる。
 「何で坊主が?」となるが、東南アジア各国の僧侶たちと語り合い行動を共にする事も多い私は今回のこういった一連のニュースに驚く事はなく、最近の仏教の流れから見たら当然の事としか思えない。「最近の流れ」とはインドのガンディーに始まり、ベトナム戦争時の反戦焼身自殺僧など「家舎離」の仏教者は結構多いのである。「家舎離」とは本来の自己を離れると言う意味である。また釈迦の悟りの場から単に寺院とも解釈される。しかしこれら仏教者の行動は決して仏法を離れておらず、「家舎離不家舎離」寺院(自己)を離れて寺院(自己)を離れずの信念のもとでの仏教行動である。
 今回はたまたま政治がらみではあったが、仏教者の「家舎離不家舎離」の信念を持っての行動は紛争に限らず、貧困、差別、教育、医療、など多岐に存在している。最近これら仏教界の動きを「エンゲージド ブッディズム」(向かい合う仏教)と表現するようになった。その流れのもっとも大きな表現行動となったのが今回の二つの大きなニュースである。これらの思想は自宅に立派な仏壇を供えて拝んでばかりでいるのではなく、金ぴかの仏陀の置物に錦の衣を着せ叶いそうにも無い理想説教を繰り返し、拝観料やお布施で暮らす仏教とは明らかに異なるのである。


 さてこの文のタイトルである「エンゲージド ブドウイズム」社会直視実践武道主義に関して書き進めたい。
 私は日本館の一貫した指導理念である「モーション&スエット(動きと汗)」を常に実践してきた。「只稽古し汗をかくだけ」実に簡単な理念であるがこれがなかなか出来ない。さらにこの理念には「現実を直視し只ひたすら頑張りましょう」「汗なくして(努力)成功は無い」という含みがある。 
 日本館総本部のあるコロラド州デンバー市の奉仕プログラムデスクから日本館は愛称とはいえ「日本館アーミー(日本館軍)」と呼ばれている。おそらく多くの市のスタッフは我々の母体が合気道道場である事を知る人は少ないであろう。それほど現在では日本館軍の名が通っている。さらに世界規模で活動しているAHAN日本館総本部インターナショナルも支援国によってはまったく合気道の指導普及をしない国も存在する。
 本来「只稽古し汗をかくだけ」を指導理念とする合気道日本館がなぜ「合気道」の三つの活字を失うほどの活動をしているのか、答えは簡単である。これら一連の日本館の行動は先に述べた「家舎離不家舎離」「道場を離れ道場を離れず」の信念のもとおこなっているに過ぎない。日本館門下生が道場外奉仕作業をするのも、路上生活者に18年間5万食をこえる食事を提供し、はるか地球の裏側のイスラム孤児院に米支援をするのも、ドブ川に入り一キロ以上にわたり護岸の落書きを消すのも、急な斜面、歩くだけでも大変な場所で手を取り合いながら自然保護のため汗を流すのも、テロ、誘拐の危険があっても求める合気道家のために出かけるのも、政治的対立にある国の合気道家たちとの積極的交流を図るのも、伝統音楽の世界公演活動をし、子供たちに日本文化の紹介をするのもすべて道場のど真ん中であり、瞬時たりとも道場は離れていないのである。
 これは紅白勝敗のみを競うスポーツ武道とは明らかに異なり、試合の無い合気道に秘められた柔軟思考によって存在している。「モーション&スエット動きと汗」から発展した日本館合気道の柔軟思考は「エンゲージド ブドウイズム」社会直視実践武道主義として定義付けられつつある。
 日本館に限らず、こういった方向性をもって世界各地で指導している合気道団体は結構存在するが、国際的に非難されている軍事政権や特権階級などとの癒着ではなく、あくまでも大衆側に立った実践でなくてはならない。方向性の誤った活動は誤ったメッセージとなる危険性を考慮し常に状況把握した上での行動である。
 
 この文章はイタリアのパラマ市で書いている。パラマ市の識字障害者支援合気道講習会のゲスト指導者としての訪問であるが、この講習会を企画したのは合気道インシアム(マイケル.ネム先www.aikidoinsieme.it)とFESIKイタリアスポーツ空手連盟である。 
 合気道インシアムは合気会系列ではない独立団体であるが他のイタリア国内の独立団体との積極的交流を深め、その共同企画としての今回の支援講習会である。組織流派を超越した人道活動での合気道思想の一体化を目的としたものである。「エンゲージド ブドウイズム」を実践する合気道団体、指導者は海外にはるかに多く、必ずしも開祖植芝の母体である合気会の傘下に拘らないのが大きな特徴である。肥大した組織の維持、血統主義守護の独裁政権にも似た「特殊な人間関係」を持つ体質に疑問を持った人たちが改めて合気道を考え始めている。


 私は1990年、日本館総本部の日常修行をもとに「AIKIDO FOR LIFE」という本を出版した。私はこの本で「気にとらわれていては本物は見えない」と強く訴え「モーション&スエット」の指導理念を呼びかけている。発刊したころは「それでは本間の合気道には気は無いのかーーそれでは合道だろう」と酷評された。しかし10年ほど前からこの本の翻訳出版希望がイスラム圏、旧ソビエト圏の合気道家から寄せられ、現在では8ヶ国語(無断出版が多く実際はこれ以上か)で出版されている。この時期はソビエト連邦の崩壊後、一斉に欧米思想を取り入れて混乱が生じ始めた頃でもある。出版依頼と重なるように私への指導依頼も急増した。
 いったいなぜだろうと考え積極的にそういった国々を訪問し、漠然ではあるが共通点に気がついた。それは「上に向かう合気道を求めたけど探せなかった」である。(もっとも指導者は「実に残念な事だ、それはこのすばらしい力を受け入れる心が整っていないからだ。だからこそこの修行が必要だ」とお決まりの口上を言うであろうが)。とくに民族、宗教、政治紛争を抱えたり貧困、階級差別を抱える国々の合気道家ほどその傾向は強いのに気がついた。合気道を通して「気だ、神だと」理想郷を求めたけど結局は何も無く、私の指導理念である「モーション&スエット」つまり「現実を直視し努力せよ」という考えに共感をもつ人が増えたのである。カリスマ的指導者の言葉を信じ追いかけ探し求めたが結局は「無限」の世界である事に気がつき地上に戻ってきた合気道家たちと言える。
  
 そんな流れの中で最近再び脚光を浴びだしたのは「気」を主体とした武道指導である。合気道に限らず空手、テッコン道など他の武道までが「今頃になって」競って指導している。数年前から合気道雑誌の一ページにコラムを書いていたある空手家が今ではその雑誌の中心的カリスマ空手家として大きな脚光を浴びている。しかし彼の指導や演武、講話はかっての合気道の「気ブーム」を発生させた藤平光一氏率いる気の研究会の指導理念となんら変わらないものであり、ただ空手に姿を変え、新世代相手となっただけである。当時の気ブームの門下生はいまや60歳以上、IT世代の若者には実に新鮮な世界でしかない。
 彼は片手に持った杖を数人で押しても動かないという大道芸を平然と行う(参加者撮影ビデオ、および雑誌写真より)。このデモなど合気道開祖植芝盛平翁の得意なデモで、実際開祖を押したときのある私は「どうやって開祖に力が及ばないように真剣に押すか」と足を踏ん張ったものである。この様なデモなどで気や人生を説かれたのではたまったものではない。4人、5人など必要ない、講習会と無関係の若者一人いればこの大道芸はすぐ崩れてしまう。このデモは八百長とは言わないが気でも武道でもない。この古くからある大道芸を新鮮な驚きに置き換え紙面を飾っている雑誌のあり方も問題である。これだけではない、参加者に帯で体を縛らせ、そのあと一瞬にして腕を抜き取るなど大道芸以外なにものでもない。こういったものを見て人生を開拓し、己を確認しそれで人生の成功に導かれると思うようでは決して満たされた人生の幸福などに出合う事はない。このカリスマ空手家の説明やデモは少し昔しの大道芸人の記録を見たらすぐ出てくる事、今でも祭りの大道芸で同じようなものが無料で見れる。IT情報で得た知識で膨れた教養者にとって、検索だけでは出てこない新鮮な興味として受け入れられているのだろう。
 私は以前「大地を歩もう」というコラムを書いているが、このカリスマ空手家の事である。内容を簡単に言えば彼は「人間は三輪車、二輪車、一輪車とチャレンジし発展させ向上して行かなければならない」というのであるが、「一輪車に乗れるようになったその後は」と私は疑問を問いかけ意見を述べている。一輪車の次はタイヤがなくなってしまう。タイヤの無い自転車などありえず、あるとしたら浮遊の人生である。結局は大地に下りて己の足で己の意思で歩む「モーション&スエット」しか存在しないのである。
 カルト集団のように特別な思想によって自己の人生を開拓するのではなく、結局はしっかりと現実と向き合いその物事の中に真実があることに気がつかなければならない。その境地に至る日常のライフスタイルとして「エンゲージド ブドウイズム」社会直視実践武道主義が存在する。
 
 このカリスマ空手家が最近急激に接触している人物がいる。私が開祖のお供で岩間から本部に行ったときに脱場の屋根裏に生活し、驚いた私に「翁先生には内緒に」と嘆願した人物である。現在、開祖の内弟子であった事を自称しているが、当時開祖は本部には生活しておらず「開祖の住んでいない屋根裏に忍んで」いながら「開祖内弟子」として脚光を浴びるのも当時から40年余りも経て新世代となったがゆえにまかり通るのであろう。師範、指導員、内弟子など身内だけの開祖のお通夜のときにこの人物が開祖の棺の前で殴り合いの大喧嘩をし、流れた血と嘔吐物を徹夜で掃除した鮮明な記憶が私にある。いかに血気盛んな青年期とはいえ開祖に対する冒涜を行った人物としか私には記憶が無い。
 この人物が最近日本の合気道雑誌でカリスマ空手家と肩を並べて脚光を浴びている。合気道開祖植芝から個人的に特別講話を受けたと自称し宗教学者でも解釈の難しいと言われる開祖の神々の話や道話を、あたかもメッセンジャーのように書き連ねている。当時本部に生活し稽古した高段師範誰に聞いてもこの人物の言う開祖との個人的な関係を裏付ける証言は存在しない。最近は岩間に内弟子で生活していたような事を堂々と書いているが「当時を知る人がまだ健在」である事を良く考えて発言をしていただきたい。
 
 彼が書き連ねる記述の中には開祖健在のころから現在も発行されている合気会発行の古い合気道新聞や、大本や白光真宏会が当時開祖にインタビューした出版物や機関紙にいくらでも出ている事で、一部分にいたっては出版物の内容とまったく同じベースに自分の名前を入れ替えてあるだけの部分も存在する。参考文献としている白光真宏会関係出版物と大本関係出版物の宗教上の解釈用語の違いを把握せず切り取っての解釈のため「あれあれ何言ってんの」となってしまう。
 二つの宗教とこの人物が発表する文章を比較したなら、それがいかに机上で作られたものかが判断できる。ネットの記憶は一瞬にして消えるが、宗教関係の書物は結構古いものでも残されている。まだ当時の事実を知る人物は沢山生存している事をこの人物は認識していないようである。日本で発行されているこういった記事に関して心当たりのある古い合気道家、もしくは熱心に合気道史を研究されている方はすぐに気がつく事であるがどこからも声が上がらない。合気道は「和の武道」とはこう云うときに使うのだろうか。それとも豪華な表紙,カラーページの活字となって巷に出ればすべて正しいと思う大衆の弱みであろうか。
 あたかも合気道開祖の宗教思想部分を取り上げ自己の身にまとい、異質性をアピールしているが「死人の衣」でしかない。少し古い開祖の自伝を読めば決して開祖が天上の人ではなく、病弱、軍隊、出征、反政府運動、北海道開拓移住、宗教弾圧、他国侵入、逮捕拘束、師との分裂などなど、その生涯は大地を這いずり回ったであろう凄まじい人生が伺える。そういった凄まじい生活環境の中から我々に残したのが道話であって、開祖の苦難の人生そのものこそ「エンゲージド ブドウイズム」社会直視実践武道主義であると私は考える。開祖の宗教思想は大地に立っての社会直視人生の産物であり、大地からの感謝の祈りであって、一輪車の上に立って更なるものを求める祈りではない。開祖が波乱の人生から悟り得たエッセンスのみを切り売りし、生活の糧にしている者に開祖に対する敬愛と尊敬の念など存在するわけがない。そういった人物に人生を左右されているとしたら悲劇である。
 
 本年10月、光栄にも合気道小林道場、小林保雄師範の日本館総本部講習会が行われた。初日は合気道本部道場(合気会本部)での開祖やご自身の思い出、合気道感を述べられたが、最後まで「気だ神だ」とかの「目に見えない」お話はいっさい言葉に出さなかった。それどころか翌日からの稽古では73歳でありながら先頭に立って受身をとり、有段者、初心者かかわりなく投げた後は必ず受けをとるというクラスを2日間、4クラスをこなされた。
「私は合気道の稽古が好きだし少しでも多くの人が合気道の稽古を楽しんでほしいからこうやって稽古をしている」と旨そうにビールを飲み干す姿に「本物」を感じ取った。http://www.cup.com/kobayashidojo/english/index.html
 そういえば亡くなった岩間の斎藤守弘9段も三度の日本館総本部講習会で一度も気だとか神だとかは発することが無かったのは稽古を直接受けた人なら誰でも知っている事実である。師範の内弟子の中にはこういった質問をして拳骨をもらった人も少なくないだろう。現在は病床にあり長い間合気会本部事務局長をされた藤田昌武師範の日本館総本部講習会でも同様であったのは偶然だけではないと思う。  
 当時の開祖の直弟子は開祖のそばでもっとも道話を聞ける環境にありながら「とても難しく理解するのが大変だった」と証言する。脱衣場の屋根裏に隠れ、当時指導員程度の後輩が開祖から直接、道話を伝授されるなどありえない事なのである。



 経済的にも時間的にも余裕があり、各地で開かれる講習会にはどこでも参加、順調に昇段もし満たされた合気道生活を送っている合気道家も多いであろう。
 しかし、どうも世界の経済状態が怪しくなってきた。生活環境に突然の変化や不安が襲いかかっている合気道家も多いのではないだろうか。どうもこういった経済状態になってくるとカリスマ的な指導者の需要が多くなるようだ。
 1946年から2007年までの米国の景気を現すグラフを見ると前回の「気や神の武道ブーム」は1970年―75年の経済状態の不安定なときと重なっているのが興味深い。(このあと経済が持ち直し米国は大変な武道ブームに入っていくが)しかし2003年をピークに右肩が急に落ちだし今日の状態になっているが、この落ち込みとあわせたように「気や神の武道ブーム」が再燃し始めている。
 より良きものを求めて夢中になって自己開発だチャレンジだと歩んできた人間にとって一輪車の更なる上を求めようとしたなら残された方向は気や神などの領域に入り込むしかない。
 いったん「気や神の武道」に入り込んだ者はそこから抜け出すのは容易ではないが、貴方の心配が現実に襲ってきたときこそ、これら指導者の「効能」が明日の生活の改善に結びつくのか確認できるときである。少しでも疑問を持ったらそれ以上追い込まない事である。大道芸的トリックや検索コピぺ哲学に振り回されることなく、苦しい今こそ大地に足の着いた武道修行が必要なのである。
 私がこういったことを書くと、神の世界や気の存在を否定する「哀れで非人間的」評価が与えられる。だが私はこれらの流れを否定しているのでもない。依存し、すがり付いて足元が大地から離れてはならないと言っているのである。
こういった罪悪感を与えて誘い込むのがこの手の指導法であり、私のような捻くれ者でない限り、より良き人生を過すためにも「効能のありそうな」ものに飛びつくのは当然ともいえる。
 
 私はこう考えている。稽古の壁に突き当たったら外を見ればいい、人生が満たされないと思ったら外を見てみればいい。己よりはるかに貧しい者、悩める者、病める者たちと出会ったらいい。こういった方々と積極的に出会の体験をする事によって自己の存在を知る事が出来る。環境破壊、食糧危機、貧困、差別、地域紛争、目の前を通り過ぎる言葉や活字では判断できない現実を現場に行って感じてみればいい。道場の中で瞑想しようと手を合わせて鎮魂をしようとこれらの事実が変わる事など一つもない。明日に夢が叶うような指導者の言葉にすがっているようでは人生は決して開けない。
 突き当たった壁はあえて壊す必要も無かろう「人生の壁を突き破るチャレンジ講習会」など馬鹿げている。チャレンジなど一切必要なく「どのくらいの長さの壁なのか」を確認し、大した事がないと確認できたら回り道をしても良い、場合によってはさらに三枚の壁を作り家を建てればいい。わざわざ破壊しそれを除去してさらに四枚の壁を立てることもあるまい。突き破らなくとも幾らでも有効な利用法は存在する。気を念じたり、神界に入っていたところで壁は決して壊れない。与えられた情況を認識し同化共存する事も一つの解決法である。
 
 私はこのHPにあるように幾つもの事柄に積極的に飛び込み多くの体験してきた。悲惨極まりない状況に接したとき、一武道家としてどう対処すべきかも真剣に考え己の手探りで実行に移してきた。そういった体験のなかから学んだことは「合気道は無力である」である。つまり合気道の哲学など厳しい環境で暮らす国々の人々にとっては「大法螺」以外の何物でもないという事である。しかし私がこの苦しい心境に追い込まれたころ新しい人生観が生じだした。「武道は人間が作り育てるものであり、武道が人間を作るのではない」の心境である。この心境こそ「家舎離不家舎離」思想を源とした「エンゲージド ブドウイズム」社会直視実践武道主義であった。その実践活動機関が「日本館総本部AHANインターナショナル」である。

 2008年も世界を飛び回った。少しペースを落とそうかと思っているが09年の訪問依頼の予定も調整困難状態にある。空中に彷徨する合気道家も多いなか世界にはしっかりと己の足で大地を歩む仲間も多く、そういった仲間からの誘いには積極的に出て行く覚悟である。
 合気道家の諸君、大きく息を吐いてヒールを落としなさい。肩の力が抜け充実した大地の感触がある。あとは堂々と無限の大地を歩んで欲しい。09年が貴方にとって充実した年であることを祈り、08年の皆様から賜ったご好意に対して厚く感謝申し上げる。
 
 最後になったが「今チョット元気のない方々」に武道家からの一言を記して締めくくりたい。
          
  仕事を失い、家庭を失い、寝場所を失い
  大変な方も多いだろう。

  苦しい今こそ貴方の武道精神を試すとき、
  やっとその日が来たではないか。

  「畜生」と大声を上げたら、眉を絞って口を結び
  ただ黙々と大地を歩むしかない。

  俺は34年間、どの組織にも入らず、
  一匹、米国で道場を立ち上げ、現在に至った。
  毎日「畜生、今に見ておれ」と叫んでいた。

  渡米したときは5千ドルだけ、
  すぐに4千ドルを騙し取られ
  2ヶ月後には川原の草を食べ、
  商店のゴミ箱をあさって生きた。

  しかし今の俺は「畜生」が「有難う」に変わった。
  我慢と努力と継続が特効薬であった。

  貴方が今苦しいなら、まずはこの特効薬を試してはいかがか。
  神や仏、そして気などはこの薬を飲んだ者のみが恵みを受ける。
  

  「つま先立っても三寸ばかり ため息ついて大地あり」

  これが貴方に伝える事の出来る武道家としての俺の言葉である。

  有意義な年末と新年である事を祈願する。


 ※参考館長コラム
  植芝盛平は神様か? 日本敗戦の日に思う事

     
イタリア国パラマ市識字障害者支援講習会滞在のホテルにて
                          平成20年12月8日
                         日本館総本部
                            館長 本間 学記
 

 


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